ヨーバリンダ
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ヨーバリンダ
Yorba Linda

標語: Land of gracious living
(優雅な生活の地)[1]
オレンジ郡内の位置
アメリカ合衆国
カリフォルニア州
オレンジ郡
法人化1967年11月2日[2]
政府
 ? 市長ジーン・ヘルナンデス
面積[3]
 ? 合計20.018 mi2 (51.847 km2)
 ? 陸地19.483 mi2 (50.460 km2)
 ? 水域0.536 mi2 (1.387 km2)  2.67%
標高[4]381 ft (116 m)
人口(2020年)[5]
 ? 合計68,336人
等時帯UTC-8 (太平洋標準時)
 ? 夏時間UTC-7 (太平洋夏時間)
ZIPコード92885-92887
市外局番657/714
FIPS code06-86832
GNIS feature ID1652817, 2412321
市の花バラ
市の木アボカド
ウェブサイト ⇒www.ci.yorba-linda.ca.us

ヨーバリンダ(: Yorba Linda、スペイン語で「美しいYorba」という意味」)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オレンジ郡にある都市。人口は6万8336人(2020年)。サンタアナの北東20q、ロサンゼルスダウンタウンの南東50qに位置している。

ヨーバリンダは国勢調査によればアメリカで最も裕福な都市の一つで、2006年の1世帯当たり収入の中央値121,075ドルは全米で最も高かった[6][7][8]

2005年、CNNマネーはヨーバリンダを「アメリカで住むのに良い場所」の21位にランク付けした[9]。2012年の「アメリカで住みたい小都市」では42位だった[10] 。同じくCNNマネーの記事では、「カリフォルニア州ヨーバリンダの世帯収入の中央値は121,075ドルで、人口65,000人から250,000人の都市では第1位である。(ドルで)6桁の収入が標準となっている。」と伝えた[6][8]

リチャード・ニクソン大統領の出身地であるが、彼の家族は市が法人化される前にこの地を離れた。リチャード・ニクソン大統領図書館・博物館が市内にある。
歴史
入植前

かつてこの地域にはネイティブインディアンのルイセーニョ族、トングバ族、フアネーニョ族らが暮らしていた。
初期

1834年、ホセ・アントニオ・ヨルバの息子のうち最も成功を収めた、ベルナルド・ヨルバ(ヨーバ、彼の名が市名の由来となった)は、メキシコの総督ホセ・フィゲロアから53.94km2の広さのランチョ・キャニオン・デ・サンタアナを与えられた。この土地の大半は1848年の米墨戦争の後も、ヨーバの子孫が保有していた。ベルナルド・ヨーバのひ孫、アンジェリーナ・ヨーバと結婚したサミュエル・クレーマーの子孫が、現在も市の土地の一部を所有し開発を行っている。ベルナルド・ヨーバ牧場があった場所はカリフォルニア州の史跡に指定されている[11]

この場所の近くには、オレンジ郡で最も古くからある墓地の一つの、ヨーバ墓地がある[12]。墓地の用地はロサンゼルス大司教区からベルナルド・ヨーバ[12]に1858年に与えられた[13]。墓地は1939年に閉鎖され、その後破壊されたが、1960年代、オレンジ郡監理委員会は損傷を修復するために所有権を取得し、現在は毎月1回(第1土曜日の午前11時?午後1時)見学することができる[12]
農業の時代

一部の土地はジャンス投資会社に売却され、土地を区画に分け、農業や工業用に販売した。同社はこの地域を初めてヨーバリンダと呼んだ[14]。1910年、ヨーバリンダで初めてレモンオレンジが栽培された。当時、人口はまだ50人以下だった[13]。数年後、パシフィック電話・電報社(パシフィック・ベル)が市で操業を開始し、学校も建設された[13]

1912年、郵便局が初めて開設された。また、ヨーバリンダ柑橘類協会が設立された。サザン・カリフォルニア・エジソン社が電気の供給を開始した。教会もこの年に初めて建設された[13]。この地域は後にダウンタウンになり、1912年にはパシフィック電鉄でロサンゼルスと結ばれ、主に柑橘類を輸送した[14]

1913年、リチャード・ニクソンがヨーバリンダで誕生した。商工会議所が立ち上げられ、学校の一部に図書館が開設された[13]。またアボカドの栽培も始められた[13]

1915年、スザンナ・ビクスビー・ブライアント・ランチハウスが建設された[13]。現在は一般の人も見学できる博物館になっている。

1917年、ヨーバリンダ・スター紙が創刊した[15]。その後、同紙はOCレジスター(Orange County Register)のオンライン部門になっている[16]。とはいえ、スター紙は現在も市内の多くの建物で無料で入手することができ、毎週火曜日に各家庭に届けられている。それに加え、過去の記事もヨーバリンダ市立図書館でマイクロフィルムにより閲覧できる[15]。同年にはヨーバリンダ・ブールバードが市内の道路で最初に舗装された[13]

市の人口は1920年までに300人に達した[13]。1929年、柑橘類協会の木造の包装施設が全焼した[13]。翌年には建物が再建された[13]
人口の増加

小さな町は1960年代に著しく成長し、1960年の国勢調査での人口は1,000人を超えた。1958年にはブレア市、1963年にはアナハイム市プラセンティア市との合併がそれぞれ検討されたが、いずれも退けられた[13]。1967年に市は法人化され、このときの人口は11,433人を数えた。

1972年、市の基本計画を策定し施行した[13]。1980年の国勢調査では人口が3万人弱まで増加し、その後10年経たずに5万人に達した[13]

1990年、リチャード・ニクソン生家が公立図書館・博物館として開館した。その後連邦政府の大統領図書館となった。1994年にはコミュニティセンターが開設された。
近年

2008年11月、ヨーバリンダ東部が山火事に襲われ、113軒の家が全壊、50軒が一部損壊した。被害のほとんどは燃えさしが不規則な風により舞い上がり、数百メートル飛ばされたことによるものである。

2012年、4人のホームレス、女性とその息子の合計6人が殺害された連続殺人が発生した[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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