ヘブライ聖書
または
旧約聖書
詳細は聖書正典を参照
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『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語: ????? ???????)は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされている[1]が、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る[2]。ヘブライ語で書かれている。『ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。 『ヨブ記』は平易なヘブライ語で書かれており、 の2つに大きく区分される。原典はマソラ本文であるが、死海文書との相違点はほとんどなく、長期にわたって正確に伝承されてきたといえる。 散文調と韻文調の表現方法の相違はマソラ学者の間では久しく知られていた。このため散文に用いられるタアミーム
構造
散文調の導入(1:1?2:13)及び終結(42:7?42:17)
ヘブライ語独特の韻文調の議論(3:2?42:6)
文書に不整合があり、『ヨブ記』は複数の別文書を編集して作成されたのではないか、エリフや神の示現は後世代の追記ではないか、難解な表現はアラム語やセム語等の転写ではないか等の議論が絶えず、元々複数の文書であったものを、モーセ五書の時代から紀元前数世紀の長期にわたって一つの文書にまとめ上げられたのではないかとも考えられている。
なお『ヨブ記』には一般的に悪魔の王と思われているサタンが神(主)の前に現れている[3]。 ヨブはウツの地の住民の中でも特に高潔であった。彼は七人の息子と三人の娘、そして多くの財産によって祝福されていた。ヨブが幸福の絶頂にあった頃のある日、天では主の御前にサタンほか「神の使いたち」(新共同訳)が集まっていた。主はサタンの前にヨブの義を示す。サタンとてヨブの義を否定することはできないが、サタンは、ヨブの信仰心の動機を怪しみ、ヨブの信仰は利益を期待してのものであって、財産を失えば神に面と向かって呪うだろうと指摘する。サタンの試みは、ヨブの無償の信仰及び無償の愛の世界観の否定である。 神はヨブを信頼しており、サタンの指摘を受け入れて財産を奪うことを認め[4]、ただし、命に手を出すことを禁ずる。サタンによってヨブは最愛の者や財産を失う[5]が無垢であり罪を犯さなかった[6]。サタンは最初に敗北する。サタンは、試みが徹底していなかったため、今度はヨブの肉体自身に苦しみを与えようと、再度神に挑戦をする[7]。サタンは神を挑発して、さらにヨブ自身に危害を加える権利を得て、サタンによってヨブはひどい皮膚病に冒されてしまう。 当時の社会情勢下では、皮膚病は社会的に死を宣告されたことを意味し、ヨブは灰の中に座っていた[8]。ヨブの妻まで神を呪って死ぬ方がましだと主張するようになるが、ヨブは次のように答えて退ける。 「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」 神はサタンに勝利する。そして、壮絶な韻文調の議論が展開される。 その後、ヨブの三人の友人、テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルが彼を慰めるべく、それぞれの国から旅して来た[9]。社会的に死を迎えているヨブを訪問する行為は賞賛に値する行為である。彼らは7日7晩、ヨブとともに座っていたが、激しい苦痛を見ると話しかけることもできなかった[10]。やがて友人たちはヨブに、ヨブがこんなに悪い目にあうのは実は何か悪いことをした報いではないか、洗いざらい罪を認めたらどうかと議論し、身に覚えのないヨブは反発する。ヨブに襲い掛かるサタン (ウィリアム・ブレイク) 彼らが交わした議論は主題ごとに五つの区分に分けることができる。また、ヨブ→エリファズ→ヨブ→ビルダド→ヨブ→ツォファルという議論の流れが三回繰り返される。この議論の後、エリフの主張(ただし、ヨブはそれに対して何も答えない)、神の応答と続く。この一連の議論にはいくつかの傾向がうかがえる。 サタンの試練に遭って、苦しみの中でヨブは憂鬱な態度で自分の生まれた日を呪い(混沌に帰したい)、死以外の解決方法を見いだせないでいた。三人の友人はエリファズを筆頭に、慰めを兼ねて因果律を説く。三人の友人の主張は、前述のサタンの主張と関連[13]しており、神は正しい者に祝福を与えて罪を犯した人に災いを与えるという因果応報の原理(因果応報は、倫理観を引き出す強い力になるが、社会的弱者や病人には過酷である。)を盾に、元の境遇に戻るために、ヨブが罪を認めて神の信仰に戻ることを求めるというものであった。しかし、ヨブには思い当たるふしがなく、えん罪を主張する。 友人たちは、神はこの世を正しく裁いており、その裁きに疑念を抱く余地はないと執拗に繰り返し、ヨブが罰せられた以上、彼は間違いなく何らかの罪を犯したのであるから、神と和解して正しい教えを抱き祈るのが答えであると諭す。また、神の前では正しい人間など一人もおらず、それぞれがその罪に応じた罰を受けるものであると主張する。ヨブは神だけが把握している認識できない罪まで問われるのは正当でないと反論する[14]。 当初からヨブは無垢な信仰を持っていたが、サタンによる試練や友人との議論をきっかけに、災いと罪との安易な関連づけに疑問を持ちながら、神自身の登場を待つところまで信仰について深く踏み込んでいく。ヨブは議論を経て、塵である自らを(無償で)贖う方の存在を予告し、因果応報と異なる世界観の存在を宣告する[15]。 エリファズの主張は三人の友人の議論を先導しており、ヨブが富んでいたことに対して、神の正義に照らした場合、本来は貧しい者の所有物を奪っていた行為によるものなのではないかと断言する[16]。双方は引けないところまで議論が進み、一方でヨブが、権力を持って生まれ非道に奪い抑圧する者によって、貧しく生まれ貧しく生きる無垢の人々が自分と共にいることを認識するに至り(24章の貧者の詳細が鮮明なのは、貧者の状況に目が行き届いていることを示している)、自分は因果応報の一般論だけではなく、どこかに結論を得なければならないことを知り、三人の友人に比べて言葉を増すようになる。ヨブは自らの正しさを確信し、友人は沈黙する。それに対してエリフが怒る。
内容
導入部
このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。 ? (2:10) 、『新共同訳聖書』より引用。(以下、引用はすべて新共同訳)
三人の友人との議論
傾向
三人の友の中ではエリファズが筆頭であり、聖職者であることがうかがえる[11]。それにビルダド、ツォファルが続く。
倫理的には、明らかに悪循環に陥っている。一巡目の議論ではそれぞれが礼儀をわきまえ概ね静かに対話が進んでゆくのだが、二巡目になると表現が厳しくなり、三巡目では友人たちの側から「あなたは甚だしく悪を行い/限りもなく不正を行ったではないか。」(22:5)といった言葉が飛び出せば、ヨブもまた「わたしに敵対する者こそ罪に定められ/わたしに逆らう者こそ不正とされるべきだ。」(27:7)と答えるほど雰囲気が険悪化している。
議論の進展に伴い、抽象論から具体的に的を射たものになっていく。宗教的指導者と苦境にあるもの代表としてのヨブとの議論であり、ヨブは前者の説教への疑問を呈しており、本来は自分の主張は宗教観に含まれるべき(聞いてもらうことが慰め[12])と主張している。
議論の内容
仮にヨブが罪を認めて元の境遇に戻してもらうよう祈った場合、利益のための信仰でありサタンが勝利する。
混沌に帰すことは神に対する冒涜とも考えられるが、サタンは勝利宣告をしていない。複数の文書の編集故か不明であるが、少なくとも形式的な倫理が主題ではないのかも知れない。また、友人との議論の段階では、自らの境遇の変化に対して心理的に後退しており、受け入れ方に若干の相違がある。
【新約聖書と貧困・災難や社会正義の関連】
貧困や病苦の存在と因果応報に関する友人との議論は、当時のユダヤ人の宗教的指導者及びユダがイエスの十字架による救いではなく政治的な栄光による救いを求めていたことを連想させる。
イエスは積極的に貧困や悲惨を肯定的に捉えている。[17]
社会正義については、イエスは毒麦は刈り入れまで待つと言及している。[18]
【新約聖書における因果応報と災いの考え方の例】
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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