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出典検索?: "ヨハン3世" スウェーデン王
ヨハン3世
Johan III
スウェーデン国王
在位1568年9月30日 - 1592年11月17日
戴冠式1569年7月10日
出生1537年12月20日
スウェーデン、ステゲボリ城(英語版)
死去 (1592-11-17) 1592年11月17日(54歳没)
スウェーデン、ストックホルム、トレー・クローノル城
埋葬 スウェーデン、ウプサラ、ウプサラ大聖堂
配偶者カタジナ・ヤギェロンカ
グニラ・ユーハンスドッテル・ビェルケ
子女一覧参照
王朝ヴァーサ朝
父親グスタフ1世
母親マルガレータ・エリクスドッテル
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ウプサラ大聖堂にあるヨハン3世の墓
ヨハン3世(Johan III、1537年12月20日 - 1592年11月17日[1])は、スウェーデン・ヴァーサ王朝第3代国王(在位:1568年 - 1592年)およびフィンランド大公(在位:1581年 - 1592年)。グスタフ1世と2度目の王妃マルガレータの長男。 ヨハンは、父グスタフ1世からフィンランドを与えられていたが(フィンランド公)、次第に本国とは離反し、兄王のエリク14世と対立し、一時的に幽閉される。しかしエリク14世の精神病が深く進行した為、弟のカール(後のカール9世)と共にクーデターを起こし、エリク14世を廃位させる。ヨハン3世は、ポーランド王ジグムント1世の娘カタジナと結婚して一人息子シギスムンドを得る。これは当時リヴォニア戦争で、ロシアのバルト海進出を阻むため、大国であったポーランド王国と同盟を結ぶ政治的な理由もあったともされる。そしてフィンランドのトゥルク城に居を定め、バルト海沿岸に影響力を及ぼした。1583年にリヴォニア戦争は終結し、リヴォニアから撤退する換わりにエストニアを確保する。 ヨハン3世はポーランド王女と結婚していたためか、カトリックに好意的で、長男のジギスムント(後のポーランド王兼スウェーデン王ジグムント3世)をカトリック教徒として育て、幼い頃から成人するまでポーランドに住まわせポーランドの教育を受けさせている。
生涯