ヨハン・サンタナ
Johan Santanaニューヨーク・メッツ時代
(2012年5月5日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地メリダ州トバル
生年月日 (1979-03-13) 1979年3月13日(45歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション投手
プロ入り1995年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場2000年4月3日
最終出場2012年8月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ミネソタ・ツインズ (2000 - 2007)
ニューヨーク・メッツ (2008 - 2012)
国際大会
代表チーム ベネズエラ代表
WBC2006年
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ヨハン・アレクサンデル・サンタナ・アラケ(Johan Alexander Santana Araque, 1979年3月13日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国・メリダ州トバル出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
00年代のMLBを代表する先発投手の一人[1][2]。2004年と2006年にサイ・ヤング賞を受賞。いずれも満票での選出であり、同賞を満票で複数回受賞した史上5人目の選手となっている[3]。 1979年3月13日、ベネズエラのメリダ州トバルで誕生。ベネズエラは野球が盛んな国であるが、トバルはプロの野球選手を出したことがない町だった[4]。幼少期はサッカーや野球に親しむが、地元のアマチュアチームで遊撃手をしていた父ヘススに憧れ、11歳のころに地元リトルリーグのトライアウトを受験する[5]。父親の右利き用グラブを使って遊撃手としてプレイしていたサンタナだが、コーチに左利きであることを見抜かれると、外野手(中堅手)へ転向した[6]。 1994年、サンタナは15-16歳クラスの全国大会に一塁手兼中堅手として出場[5]。このとき、ヒューストン・アストロズのスカウトを務めていたアンドレス・レイナーがサンタナの強肩ぶりに目をつける[7]。当時のMLBは選手会によるストライキの最中だったため、予算を凍結していた球団はトバルへの旅費すら出さない姿勢でいたが、何度も何度も説得を試みるレイナーの熱意に最後は折れ、GMのボブ・ワトソンが旅費を自費で用意した[5][6][7]。レイナーはトバルへ赴き、サンタナと交渉。1995年1月、サンタナはカラボボ州バレンシアにあるアストロズのアカデミーに送り込まれ、そこで3か月を過ごす[5]。 サンタナと契約した時、彼を外野手と投手のどちらにすべきかレイナーは先述のこともあり、迷ったという[7]。
経歴
プロ入り前
アストロズ時代