この項目では、オランダのプロサッカー選手について説明しています。イギリスで生産された競走馬については「ヨハンクライフ (競走馬)」を、オランダにあるスタジアムについては「ヨハン・クライフ・アレナ」を、スペインにあるスタジアムについては「エスタディ・ヨハン・クライフ」をご覧ください。
ヨハン・クライフ
1974年のヨハン・クライフ
名前
本名ヘンドリック・ヨハネス・クライフ
Hendrik Johannes Cruijff
愛称フライング・ダッチマン[1][2]
エル・サルバドール[2][3]
エル・フラコ[4]
スーパースター[2][5]
ラテン文字Johan Cruijff
基本情報
国籍 オランダ
生年月日 (1947-04-25) 1947年4月25日
出身地アムステルダム
没年月日 (2016-03-24) 2016年3月24日(68歳没)
身長178cm
体重67kg
選手情報
ポジションFW / MF
利き足右足
ユース
1957-1964 アヤックス
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1964-1973 アヤックス 240 (190)
1973-1978 バルセロナ 143 (48)
1979 ロサンゼルス・アズテックス
ヨハン・クライフ(Johan Cruijff[注 1])ことヘンドリック・ヨハネス・クライフ(Hendrik Johannes Cruijff OON(英語版), 1947年4月25日 - 2016年3月24日)は、オランダ出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
リヌス・ミケルス監督の志向した組織戦術「トータルフットボール」をピッチ上で体現した選手であり[1][7]、選手時代に在籍したアヤックスではUEFAチャンピオンズカップ3連覇、オランダ代表ではFIFAワールドカップ準優勝に導いた実績などからバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を3度受賞した。フランツ・ベッケンバウアー(ドイツ)と並ぶ1970年代を代表する選手[1][8][9][10]であり、ペレ(ブラジル)やディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)と並ぶ史上最高の選手と評されており[7]、サッカー界に最も影響を与えた人物の1人である。
引退後は指導者に転身し古巣のアヤックスやFCバルセロナの監督を務めると、バルセロナではリーガ・エスパニョーラ4連覇やUEFAチャンピオンズカップ優勝などの実績を残し監督としても成功を収め[1]、史上最高の監督の1人とみなされた。その後は監督業から退いていたが2009年から2013年までカタルーニャ選抜の監督を務めた。相手のタックルを柔軟なボールタッチやフェイントで飛び越えたプレースタイルに由来する「空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」[1][11][12]、スペイン語で救世主を意味する「エル・サルバドール」[3] など、様々なニックネームを持つ。
生い立ちクライフが育ったベトンドルプの街並み
1947年4月25日、アムステルダムの東部にあるベトンドルプ(オランダ語版)という労働者の住む街で、青果店を営む家庭[13][14]の次男として生まれた[15]。家庭は貧しく、日頃の生活に窮していたが[13]、仲の良かった2歳年上の兄や近所の友人達と毎日のようにストリートサッカーに興じてテクニックを磨いた[13]。少年時代を過ごした生家から数100mほどの場所にアヤックスのホームスタジアムや施設があり、頻繁に出入りしていたことから選手やスタッフから可愛がられ、マスコットのような存在になった[16]。