ヨハネス・クリュソストモス
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「イオアン・ズラトウースト」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「イオアン・ズラトウースト (曖昧さ回避)」をご覧ください。

金口イオアン
金口イオアンのイコンコンスタンティノープルアギア・ソフィア大聖堂にあるモザイク画主教祭服をつけ、右手で祝福を与え、左手に福音経を持つ姿で描かれている。
正教会で:成聖者・聖神父・大司祭首西方教会で:教会博士
他言語表記: ?ω?ννη? ? Χρυσ?στομο?
生誕347年
アンティオキア
死没407年
コマナ・ポンティキ(Comana Pontica)
崇敬する教派正教会
東方諸教会
カトリック教会
聖公会
ルーテル教会
記念日

正教会


11月13日(永眠記憶。ユリウス暦使用教会では11月26日

1月27日不朽体遷移。ユリウス暦使用教会では2月9日

1月30日三成聖者祭。ユリウス暦使用教会では2月12日

西方教会


9月13日

1月27日[1]

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金口イオアン(きんこうイオアン[2]ギリシア語: ?ω?ννη? ? Χρυσ?στομο? (Ioannes Chrysostomos), 345年または349年または354年 - 407年9月14日)は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスのキリスト教会[3]主教[4][5][6]398年から404年まで主教を務めた[7]。生地はシリアのアンティオキアである[8]。いわゆるギリシア教父を代表する一人で[8]、名説教で知られたことから死後100年以上経った6世紀以後に「黄金の口」を意味するクリュソストモス[9]と呼ばれるようになった[10]

日本語表記は多様で、金口イオアンは日本ハリストス正教会の表記である[2]。他にヨアンネス・クリュソストモス[4][10][5]、ヨハネス・クリュソストモス[11]、ヨハネス・クリソストモス[12]、ヨハネ・クリゾストモ[13][14][15]、金口の聖ヨハネ[16]、金口ヨハネ[17]、ヨハネ・クリソストム[18]、ジョン・クリソストム(John Chrysostom)[19]あるいは単にクリュソストモス[8][20]、金口聖若望(中国語)などと表記される。

祝日は東方教会では11月13日[5]、カトリック教会では9月13日である[4]正教会東方諸教会カトリック教会[4]聖公会ルーテル教会で、聖人として崇敬される[要出典]。東方教会において最も頻繁に用いられる典礼文は金口イオアンの名が冠されている「聖金口イオアン聖体礼儀」である[要出典]。正教会においては三成聖者の一人である[要出典]。カトリック教会においては教会博士の一人である[4]
生涯

金口イオアンは、ローマ帝国の将軍の子として生まれ、未亡人となった母によってキリスト教徒として育てられる。381年に聖職者となり次第に名声を獲得していった[21]

398年、修道士として、神品として、アンティオキアで声望の高かった金口イオアンは、ネクタリオスの後を継いでコンスタンティノープル大主教(当時はまだ総主教制は無かった)に推挙されて着座した[22]

しかしながらイオアンがその地位に着く事に反対し、着座後もその地位を嫉むアレクサンドリア大主教セオフィロスや、イオアンから職務怠慢によって叱責を受けたり免職された神品達はイオアンを憎んでいた[22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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