ヨネクラボクシングジム
[Wikipedia|▼Menu]

株式会社ヨネクラ.プロモーション
Yonekura Promotion Co. Ltd.,
ヨネクラボクシングジム
西武池袋線の車窓から見ることができた
種類株式会社
市場情報非上場
略称ヨネクラ
本社所在地 日本
東京都豊島区目白2-28-9
設立1963年3月
業種サービス業
法人番号1013301013123
事業内容ボクシングジムの運営
代表者代表取締役 米倉健司
関係する人物米倉健司
テンプレートを表示

ヨネクラボクシングジムは、かつて東京都豊島区目白二丁目に存在した、プロボクサー養成を主目的としたボクシングジム。運営は株式会社ヨネクラ.プロモーション[1]。2017年8月閉鎖[2]
沿革

メルボルンオリンピック選手で、プロボクシング日本フライ級東洋太平洋バンタム級王者の米倉健司1963年3月に開設し、2017年8月に閉鎖するまで54年間会長を務めた。

ジムは当初、東京・大塚に「NPヨネクラジム」として開設し、1969年に目白に移転し、ヨネクラジムに名を改めた[3]

閉鎖するまでの54年間で5人の世界王者を生み出した。これは協栄ジム帝拳ジムワタナベジムに次いで日本プロボクシング協会加盟ジム世界王者輩出数歴代4位の記録である。さらに東洋太平洋は8人・日本王者は歴代最多の31人にのぼり「日本一のチャンピオンメーカー」の異名を謳われた。また米倉がアマチュア出身だったこともあり、アマチュア選手の育成も行った。

柴田国明が世界王者だった1970年代には、BVDの日本法人(現在の富士紡ホールディングスとは違う会社)がスポンサーにつき「BVDヨネクラボクシングジム」という名称だった時期がある。

米倉は以前から「ジム経営は自分一代限り」と明言し、2017年4月、自身の年齢や体調等を理由に同年8月末をもってジムを閉鎖することを発表[4]、同年8月31日の最終日には成田城健(元日本ライト級王者)、西澤ヨシノリ(元日本ミドル級王者)らジムOBも駆けつけて最後の練習を見守り、ジムの歴史に幕を下ろした[5]。ヨネクラ.プロモーションは清算手続に入り、2018年5月28日に法人格が消滅した[1]
概要

選手の性格に合ったボクシングスタイルを見つけ、育てることを信条としていた。
選手
ジム出身世界王者

柴田国明WBCフェザー級WBA・WBCスーパーフェザー級

ガッツ石松(WBCライト級

中島成雄(WBCライトフライ級

大橋秀行(WBA・WBCミニマム級

川島郭志(WBCスーパーフライ級

在籍した主な選手(世界王者以外)

林守
(元日本ジュニアライト級王者)

東海林博(元日本ジュニアライト級、ジュニアウェルター級王者)

千葉信夫(元日本フェザー級、元OPBF東洋太平洋同級王者)

清水精(元日本ジュニアフェザー級王者)

辻本章次(元日本ウェルター級王者)

岡野正治(元日本ジュニアフェザー級王者)

岩本弘行(元日本ジュニアフェザー級王者)

吹打竜(本名・原田達実、元OPBF東洋太平洋ジュニアライト級王者)

石垣仁(元日本バンタム級王者)

成田城健(元日本ライト級王者)

友伸ナプニ(元日本フェザー級王者)

宮田賢二(元日本ミドル級王者)

田中敏之(元日本フェザー級、元日本ジュニアライト級王者、移籍先でライト級王座を獲得)

小林裕幸(元日本フェザー級王者)

ヨネクライコニ(元日本ジュニアライト級王者)

東條信次(元日本ミドル級王者)

中島俊一(元日本ジュニアバンタム級王者)

山本義広(元日本ジュニアウェルター級王者)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef