ヨナ抜き音階
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ヨナ抜き音階(四七抜き音階、ヨナぬきおんかい)は、明治以降の日本で使われる五音音階の一種であり、ヨナ抜き長音階とヨナ抜き短音階の2つからなる。明治初期は西洋音楽での音階である「ドレミファソラシ」を「ヒフミヨイムナ」と読んでいたので[1]、そのヨとナを抜いた事から名付けられた[1]

「ヨナ抜き長音階」は、西洋音楽におけるドを主音とする長音階(ドレミファソラシ)に当てはめたときにドから四つ目のファと、七つ目のシがない音階(ドレミソラ)のことで、全音階的五音音階(Cメジャーペンタトニック)と同じ音階である[2]。同様に「ヨナ抜き短音階」は、ラからはじまる自然短音階(ラシドレミファソ)の四つ目のレと、七つ目のソがない音階(ラシドミファ)の事である。

ヨナ抜き音階と同様2つの音を抜いた音階としてニロ抜き音階(二六抜き音階、ニロぬきおんかい)がある。ニロ抜き音階も「ニロ抜き長音階」と「ニロ抜き短音階」にわかれ、それぞれ主音がドの長音階、主音がラの自然短音階から二番目と六番目を抜いた音階である。名称のニロ抜きはこの2つの番数に由来する。

音階名音階備考
ヨナ抜き長音階ド、レ、ミ、ソ、ラ[3][4]呂音階[4]、全音階的五音音階(Cメジャーペンタトニック)と同じ[2]
ヨナ抜き短音階ラ、シ、ド、ミ、ファ[3][注 1]呂陰音階と同じ[4]。都節音階を第3音から始めたものとも同じ[5]
ニロ抜き長音階ド、ミ、ファ、ソ、シ[3]琉球音階と同じ[3]
ニロ抜き短音階ラ、ド、レ、ミ、ソ[3]田舎節を第4音から始めたものと同じ、

民謡音階[6]、Aマイナーペンタトニックと同じ

近代以前の日本でも、中国由来の「呂旋法」が雅楽声明民謡、民俗芸能に見られ[1]、ヨナ抜き音階はこの呂旋法と同じ音階が明治以降の日本で使われたものである[4]

呂旋法には呂音階と呂陰音階があるが[7][8]、これらが(平均律で近似すれば[9])それぞれヨナ抜き長音階、ヨナ抜き短音階と同じ音階を持つ[7][注 2]

ただし「呂音階はそのままの形では日本に定着せず、主音を変えた雅楽の律音階や田舎風の民謡音階として根付いたようであり、呂音階は雅楽でも俗曲でも少ない」[11]

またヨナ抜き短音階は日本の他の五音音階(琉球音階、民謡音階、律音階、都節音階)よりも陰音階である度合いが強く[12]、日本の伝統音楽はヨナ抜き短音階ほど暗くはなかったものと思われる[12]
音楽的特徴

音楽的に見た場合、ヨナ抜き長音階、ヨナ抜き短音階は呂音階・呂陰音階のみならず西洋の長音階、短音階の影響を受けているので、主音はそれぞれド、ラである[13]

またヨナ抜き音階は「機能和声に欠かせない導音(長音階の「シ」,短音階の「ソ#」) を持たず,またテトラコルドを構成する四度(長音階の「ファ」,短音階の「レ」) も持っていない」[14]。この事が小泉文夫など多くの音楽研究者の批判を浴びてきた[14]

ヨナ抜き短音階は都節音階の第三音を主音とすることによって得られるため、「伝統的な日本音楽でヨナ抜き短音階に近い都節音階的な旋律がヨナ抜き短音階でも好まれ」る[12]。このような「都節音階の旋律法を強引に洋楽的終止にしようとすることからくる終止音の不安定さよって、どことなく暗さがただよう。これが、昭和にはいって歌謡曲といわれるようになった流行歌の内容、つまり、あきらめや涙、雨というモチーフにふさわしい音の形式となったのである」[15]
なぜヨとナが抜けているか「ピタゴラス音律」も参照

ドの音の周波数を2倍にすると1オクターブ高いドになるが、それに対しドの音の周波数を3倍にすると(元のドよりも1オクターブと完全五度高い)ソの音になる[16][注 3]。さらに3倍にすると(先ほどのソより1オクターブと完全五度高い)レの音になる。以下同様に3倍音を考えていくと、派生音[注 4]も含めた12の音が全て登場し、13音目がほぼドの音と等しくなって終了する[16]。これがピタゴラス学派が元々考えた12の音律の決め方である[16][注 5]。この12音のうち最初登場する6つが順に「ドソレラミシ」であり、最後の一つが「ファ」である[17]

古代中国でも同様の考えで音律を決めていき、これを「三分損益法」と呼んだが、おそらくは五行説の影響により最初から5番目までの「ドソレラミ」の5つを使っていた[18]。これはヨナ抜き長音階と同じものとなる。

この5音音階が奈良時代に日本に伝わり「呂旋法」と呼ばれたが、当時はあまり流行らなかったらしい[18]。これが明治以降、西洋の影響を受けた日本で小学唱歌が作られるようになると、「呂旋法」と同じ音階を使いつつ、様々な曲が作曲された[18][4]。これがヨナ抜き音階である。
歴史

すでに述べたように、ヨナ抜き音階と同様の中国の5音音階が奈良時代に日本に伝わり「呂旋法」と呼ばれていた。
明治

明治になると、文部省所属の音楽教育機関である音楽取調掛の長であった伊沢修二は、呂旋法の音階とヨーロッパの音階がほとんど同じであると「性急な誤った結論を下し」[19]、ヨーロッパの音階を全面的に取り入れた[19]
軍歌と寮歌

ヨナ抜き音階はまず軍歌で広まった[20]。軍歌では明治元年の「宮さん宮さん」では民謡音階が採用されていたが[20]明治18年 - 23年ごろの「共同團歌」では軍隊節が「ヨナ抜き長音階と共通の陽類変ロ均ハ調レ旋法によっている」[20]。そして「ヨーロッパ的な音楽が浸透するに連れて、必然的に同じ基本音階の陽類ラ旋法からド旋法?ヨナ抜き長音階?へと変化し」[20]、「明治27年 - 28年ごろには、その様式が定まった」[20]

寮歌もほとんどがヨナ抜き長音階かヨナ抜き短音階で作られていて[20]、「アムール川の流血や」(明治34年)、「嗚呼玉杯に花うけて」(明治35年)などが作られた[20]


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