ヨシュア・トゥリー
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『ヨシュア・トゥリー』
U2スタジオ・アルバム
リリース1987年3月9日
録音ウィンドミルレーンスタジオ, ダブリン 1986年
ジャンルロック
時間50分11秒
レーベルアイランド・レコード
プロデュースブライアン・イーノ
ダニエル・ラノワ
専門評論家によるレビュー


Allmusic Link

Rolling Stone link

チャート最高順位

全英1位

全米1位

U2 アルバム 年表

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(1984年)ヨシュア・トゥリー
(1987年)魂の叫び
(1988年)

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『ヨシュア・トゥリー』 (The Joshua Tree ) は、アイルランドのロックバンド、U2アルバムである。"Joshua Tree"とはアメリカ南西部の砂漠地帯に生えるユッカの樹のこと。
概要

前作『?』からの3年間、1984年のアフリカ難民救済を目的とするバンド・エイドの「Do They Know it's Christmas?」へのボノアダムの参加、1985年のライブエイドでの圧巻のパフォーマンス、アパルトヘイトに反対するチャリティソング「Sun City」へのボノの参加、1986年のアムネスティ・インターナショナル主催の希望の戦略(Conspiracy Of Hope)ツアーでのパフォーマンスなどで、U2は徐々に評価を高めており、本作でその人気が爆発する。全米チャートで9週連続1位を獲得し、全世界でのセールスは2,500万枚を超え[1]、同バンドのキャリアにおいて最も売れたアルバムとなっている。発売当時、アメリカの『TIME』誌はU2の写真を表紙に載せ、”Rock's Hottest Ticket”という見出しを付けた。

U2のメンバーの幼馴染で音楽評論家のニール・マコーミックが「以来、バンドがこのようなビッグアルバムをリリースするのが慣例になった。解散するまでの間に、その手のアルバムを何枚かリリースし、後のキャリアはおまけとなるのである。多くのアメリカのスタジアム級のバンドが、3年に1枚アルバムをリリースするだけになった。他のミリオンセラーバンドの様子を注意深く観察するために、レコードを何年も寝かせておくようになったのである」と述べているように[2]、後のビッグバンドの基準となった。

レコーディングは1986年1月頃から散発的に行われ、やがてダブリン郊外のラスファーナムというところにあるDanesmoate Houseに場所を移して行われた。『The Unforgettable Fire』のスレーン城と同じ効果が上がることを期待しての選択だった。この初期のセッションで「With or Without You」と「I Still Haven’t Found What I’m Looking For」は既に顔を出していたのだという。[3]

このセッションはU2が1986年6月に行われた希望の戦略ツアーに参加したことで一時中断。8月に今度はDanesmoate House、ウィンドミル・レーン・スタジオ、”メルビーチ”と呼ばれていたエッジの家で行われた。「Mothers of the Disappeared」と「Bullet the Blue Sky」はこのメルビーチで出来た曲である。[4]またロビー・ロバートソンが彼のファーストソロアルバム『Robbie Robertson』をダニエル・ラノワと仕上げるためにダブリンを訪れたのもこの頃である。

10月頃には新しいアイデアがどんどん出てきたのだが、ブライアン・イーノの勧めによってセッションは11月に打ち切られた(が、年が明けると、バンドはスタジオに舞い戻り、最終的にB面曲に収録された曲をレコーディングした)。レコーディングの最終段階では、スティーヴ・リリーホワイトに助っ人を頼んで何曲かミックスしてもらい、当時のリリーホワイトの妻・カースティ・マッコールが曲順を決めた。ちなみにこのレコーディングには、ギャヴィン・フライデーの紹介で、フラッドがエンジニアとして初めて参加している。[5]

音楽面ではアメリカ文化への傾倒がより顕著になり、ブルースカントリーゴスペルなどのルーツ・ミュージックを積極的に吸収し、従来のU2にはなかった静謐さと骨太さを併せ持ったコントラストの深い独自のサウンドを構築している。デビュー以来、USツアーを繰り返し、アメリカへの憧憬を強くしたボノはフラナリー・オコナーノーマン・メイラーレイモンド・カーヴァーなどのアメリカ文学を読み漁り、1984年、スレーン城公演で共演したボブ・ディランからフォークを、「Sun City」のレコーディングの際にキース・リチャーズからブルーズを教わってルーツミュージックを聴き漁り、さらにHothouse FlowersやThe Waterboysとの付き合いからアイルランド音楽とルーツミュージックとの共通点に気づいて、自らのルーツを探るべくアメリカンロックに接近したのである。[5]

アメリカ政府の対ニカラグア政策(コントラ支援)を告発する「ブレット・ザ・ブルー・スカイ」、イギリスの炭鉱労働者がモチーフの「レッド・ヒル・マイニング・タウン」、チリピノチェト政権下の行方不明者をテーマにした「マザーズ・オブ・ザ・ディサピアード」など硬派な姿勢を貫きながら、セールスでも大成功し、グラミー賞では最優秀アルバム賞、最優秀ロック・グループ賞を獲得(1988年)。シングルヒットした「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム」(1989年のグラミー賞最優秀パフォーマンス・ミュージック・ビデオ受賞)や「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー 」「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」は、U2の代表曲としてライブでも歌われ続けている。

ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500』(大規模なアンケートによる選出)に於いて、27位にランクイン[6]

アメリカ議会図書館が毎年公表している全米録音資料登録簿(将来に渡って保存すべき録音資料)に、2013年分の登録作品のひとつとして選ばれた[7]
収録曲ヨシュア・トゥリー

A面
ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム(約束の地) - Where the Streets Have No Name

アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー - I Still Haven't Found What I'm Looking for

ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー - With or Without You

ブレット・ザ・ブルー・スカイ - Bullet the Blue Sky                

ランニング・トゥ・スタンド・スティル - Running to Stand Still              

B面
レッド・ヒル・マイニング・タウン - Red Hill Mining Town

神の国 - In God's Country

トリップ・スルー・ユア・ワイヤーズ - Trip Through Your Wires                 ボノが他人と電話での会話からネタを拾って、ものの数分で書いた曲で、女性を罠をしかけるワイアー(「wire」)に例え、男性に虜にする女性について歌っている。[8]ボノがハーモニカを吹いている。1986年1月30日、アルバムのリリースに先立って、RTEテレビのTV Gagaという番組で、未発表曲の「Woman Fish」とともに披露した。完成作とは若干歌詞が違っている。

ワン・トゥリー・ヒル - One Tree Hill

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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