ヨシアス
Josias
ヴァルデック=ピルモント家
ヨシアス・エルププリンツ・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモント(ドイツ語: Josias Erbprinz zu Waldeck und Pyrmont, 1896年5月13日 - 1967年11月30日)は、ドイツの領邦ヴァルデック侯国の侯世子(Erbprinz)。ヴァイマル共和国やナチス・ドイツの時代にはナチ党に所属し、親衛隊(SS)の将軍となった。
親衛隊における最終階級は親衛隊大将(SS-Obergruppenfuhrer)および武装親衛隊大将(General der Waffen-SS)。警察における最終階級は警察大将(General der Polizei)。
生涯
生い立ち3歳の頃のヨシアス
ヴァルデック侯フリードリヒと、その妃であったシャウムブルク=リッペ侯女バティルディス(ヴィルヘルムの次女)の長男(第1子)として、ヴァルデック侯国の首都アーロルゼン(現在のバート・アーロルゼン)に生まれた。伯母にオランダ王妃エンマがおり、従ってエンマの娘であるオランダ女王ウィルヘルミナは従姉にあたる[1]。
1912年に陸軍士官学校に入学[1]。第一次世界大戦に際してドイツ陸軍に従軍して重傷を負った[2]。1917年に少尉に昇進[1]。二級鉄十字章及び一級鉄十字章を受章した。大戦末期にドイツ革命が発生するとドイツ帝国もヴァルデック侯国も崩壊し、侯世子の法的な地位を失った。ヴァイマル共和国下ではヴァルデックは自由州とされた。1918年から1919年にかけては反革命義勇軍(フライコール)に参加した[1]。 戦後は農業の勉強をしていたが、1929年11月1日にナチ党に入党[2]。1930年3月2日に親衛隊(SS)隊員となる[1]。ミュンヘンの親衛隊第一連隊(SS-Standarte I)、親衛隊旅団「バイエルン」(SS-Brigade "Bayern")、親衛隊集団「南方」(SS-Gruppe "Sud")の司令官副官となる(司令官はヨーゼフ・ディートリヒであった)。
ナチス親衛隊