ヨエニス・セスペデス
Yoenis Cespedesニューヨーク・メッツ時代
(2015年10月26日)
基本情報
国籍( ドミニカ共和国に亡命)
出身地 キューバ
グランマ州カンペチュエラ
生年月日 (1985-10-18) 1985年10月18日(38歳)
身長
体重5' 10" =約177.8 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り2012年 アマチュアFA
初出場2012年3月28日
最終出場2020年8月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
マニュエル・ファハルド国立体育大学
アラサネス・デ・グランマ
オークランド・アスレチックス (2012 - 2014)
ボストン・レッドソックス (2014)
デトロイト・タイガース (2015)
ニューヨーク・メッツ (2015 - 2018, 2020)
国際大会
代表チーム キューバ
WBC2009年、2023年
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ヨエニス・セスペデス・ミラネス(Yoenis Cespedes Milanes, 1985年10月18日 - )は、キューバのグランマ州カンペチュエラ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。愛称はスペイン語でザ・パワーを意味するラ・ポテンシア[1]。
弟のヨエルキ・セスペデスもプロ野球選手(外野手)。代理人は、ラッパーのジェイ・Zが経営するロック・ネーション・スポーツ(英語版)[2]。 キューバの名門体育大学であるマニュエル・ファハルド国立体育大学を卒業。 2003年より、キューバ国内リーグであるセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのアラサネス・デ・グランマに所属。 2007年には2007年パンアメリカン競技大会の野球キューバ代表に選出された。 2009年に第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された[3]。同大会では、全試合に出場し、大会通じて打率.458、2本塁打、5打点の活躍で大会ベストナインに選ばれる。第2ラウンドの日本戦では小笠原道大の打球を落球した。 国内リーグでは、2010-2011シーズンにおいて打点王と本塁打王(ホセ・アブレイユと同本数)に輝いた。 2011年11月にドミニカ共和国に亡命した。 2012年2月13日にオークランド・アスレチックスと総額3600万ドルの4年契約を結んだ。この契約は2003年にホセ・コントレラスがニューヨーク・ヤンキースと結んだ、4年契約総額3200万ドルを抜いて亡命キューバ選手としての過去最高額となった。この年は129試合に出場して打率.292、23本塁打、82打点などの成績を残した[4]。 2012年3月28日に日本の東京にある東京ドームでのシアトル・マリナーズとのMLB日本開幕戦でメジャーデビューを果たした。最終的にア・リーグ新人王投票では、2位19票3位6票で計63票を獲得し、全体では2位となった[5][6]。 2013年はオールスターゲームに選出されなかったものの、前日に開催されたホームランダービーに選出され[7]、優勝した。この年は135試合に出場して打率.240、26本塁打、80打点、7盗塁を記録した。 2014年は初めてオールスターゲームに選出された。前日に開催されたホームランダービーに2年連続2度目の出場を果たし、1999年のケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目の連覇を達成した。 2014年7月31日にジョン・レスター、ジョニー・ゴームスとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[8]。この年は自己最多となるシーズン通算152試合に出場した。本塁打は自己最少の22に留まった一方で、36二塁打・6三塁打はいずれも自己最多となった。また得点圏打率.309を記録し、MLB移籍後では初となるシーズン100打点を挙げた。
経歴
キューバ時代
アスレチックス時代オークランド・アスレチックスでの現役時代
(2012年4月27日)
レッドソックス時代ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2014年9月19日)
タイガース時代デトロイト・タイガースでの現役時代