ヨエニス・セスペデス
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.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はセスペデス、第二姓(母方の)はミラネスです。

ヨエニス・セスペデス
Yoenis Cespedesニューヨーク・メッツ時代
(2015年10月26日)
基本情報
国籍( ドミニカ共和国に亡命)
出身地 キューバ
グランマ州カンペチュエラ
生年月日 (1985-10-18) 1985年10月18日(38歳)
身長
体重5' 10" =約177.8 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り2012年 アマチュアFA
初出場2012年3月28日
最終出場2020年8月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


マニュエル・ファハルド国立体育大学

アラサネス・デ・グランマ

オークランド・アスレチックス (2012 - 2014)

ボストン・レッドソックス (2014)

デトロイト・タイガース (2015)

ニューヨーク・メッツ (2015 - 2018, 2020)

国際大会
代表チーム キューバ
WBC2009年2023年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ヨエニス・セスペデス・ミラネス(Yoenis Cespedes Milanes, 1985年10月18日 - )は、キューバグランマ州カンペチュエラ出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。愛称はスペイン語でザ・パワーを意味するラ・ポテンシア[1]

弟のヨエルキ・セスペデスもプロ野球選手(外野手)。代理人は、ラッパージェイ・Zが経営するロック・ネーション・スポーツ(英語版)[2]
経歴
キューバ時代

キューバの名門体育大学であるマニュエル・ファハルド国立体育大学を卒業。

2003年より、キューバ国内リーグであるセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルアラサネス・デ・グランマに所属。

2007年には2007年パンアメリカン競技大会野球キューバ代表に選出された。

2009年第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)キューバ代表に選出された[3]。同大会では、全試合に出場し、大会通じて打率.458、2本塁打、5打点の活躍で大会ベストナインに選ばれる。第2ラウンドの日本戦では小笠原道大の打球を落球した。

国内リーグでは、2010-2011シーズンにおいて打点王本塁打王ホセ・アブレイユと同本数)に輝いた。

2011年11月にドミニカ共和国亡命した。
アスレチックス時代オークランド・アスレチックスでの現役時代
(2012年4月27日)

2012年2月13日にオークランド・アスレチックスと総額3600万ドルの4年契約を結んだ。この契約は2003年にホセ・コントレラスニューヨーク・ヤンキースと結んだ、4年契約総額3200万ドルを抜いて亡命キューバ選手としての過去最高額となった。この年は129試合に出場して打率.292、23本塁打、82打点などの成績を残した[4]

2012年3月28日に日本東京にある東京ドームでのシアトル・マリナーズとのMLB日本開幕戦でメジャーデビューを果たした。最終的にア・リーグ新人王投票では、2位19票3位6票で計63票を獲得し、全体では2位となった[5][6]

2013年オールスターゲームに選出されなかったものの、前日に開催されたホームランダービーに選出され[7]、優勝した。この年は135試合に出場して打率.240、26本塁打、80打点、7盗塁を記録した。

2014年は初めてオールスターゲームに選出された。前日に開催されたホームランダービーに2年連続2度目の出場を果たし、1999年ケン・グリフィー・ジュニア以来史上2人目の連覇を達成した。
レッドソックス時代ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2014年9月19日)

2014年7月31日にジョン・レスタージョニー・ゴームスとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[8]。この年は自己最多となるシーズン通算152試合に出場した。本塁打は自己最少の22に留まった一方で、36二塁打・6三塁打はいずれも自己最多となった。また得点圏打率.309を記録し、MLB移籍後では初となるシーズン100打点を挙げた。
タイガース時代デトロイト・タイガースでの現役時代


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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