ヨウェリ・カグタ・ムセベニ
Yoweri Kaguta Museveni
2012年のムセベニ
ウガンダ共和国
第7代 大統領
任期1986年1月29日 –
副大統領サムソン・キセッカ
ヨウェリ・カグタ・ムセベニ(Yoweri Kaguta Museveni, 発音[ヘルプ/ファイル], 1944年9月15日 - )は、ウガンダの政治家。現在、同国大統領(第7代、1986年1月29日 - 現職)。ムセヴェニとも表記される。
イディ・アミン政権の転覆や、第二次ミルトン・オボテ政権への反乱に関与し1986年1月26日にカンパラを制圧、政権を掌握し1月29日に大統領に就任、以来35年以上もの間、大統領を務めている。北部を例外として内戦と腐敗の続いたウガンダで安定した政治と経済成長をもたらした。彼の在任はアフリカでのHIV/AIDSへの国家的対応の最も効果的な事例の一つに数えられる場合もある。1990年代半ばムセベニは西側の新世代のアフリカの指導者に選ばれた。第二次コンゴ戦争などの大湖沼地帯の紛争にも深く関わっている。ウガンダ北部では反乱により人道的な危機が続いている。
2006年には大統領の三選禁止規定の撤廃とそれに続く約四半世紀ぶりの選挙で、野党からの批判をかわし約60%の得票で三選を果たし、内外の関心を集めた。以降も5年おきの大統領選挙で当選を続け、直近では2021年1月14日執行の選挙で六選を果たしている。
生い立ちントゥンガモ県の位置
1944年9月15日にウガンダ保護領(英語版)南西部のントゥンガモ県でアンコーレ族の家庭に生まれた[1](ただし、1945年または1946年生まれの可能性も指摘されている[2])。姓のムセヴェニはウガンダ人の多くが第二次世界大戦中に仕えたイギリス植民地軍の王立アフリカ小銃隊の第7大隊に因んだ「第7大隊の男の息子」という意味である。ミドルネームは牛飼いである父親のエイモス・カグタからもらい、母はエステリ・コクンデカ、弟にサレム・サレーとして知られるケイレブ・アカンドゥワナホと妹にバイオレット・カジュビリがいる。ムセベニはキャマテ小学校からムバララ高校及びナタレ学園へと進み、その頃に福音主義のクリスチャンになった。1967年タンザニアのダルエスサラーム大学に進み経済学、政治学などを学び、過激な汎アフリカ主義活動に参加しながら古典的マルクス主義者となった。彼は大学で大学生アフリカ革命戦線を結成し、ポルトガル領モザンビークのFRELIMO支配地域へ学生代表団を率いてゲリラ訓練を受けた。またウォルター・ロドニーに学び、ムセベニはその修士論文として脱植民地後のアフリカへのフランツ・ファノンの革命的暴力の適用性について書いた[3]。
1970年ムセベニはオボテ政権の情報機関に加わり、翌1971年1月イディ・アミン大将によるクーデターを受け、タンザニアへ逃れた。アミンとオボテの権力基盤はかなり異なり、民族対立及び地域対立の元になった。オボテは中北部のランゴ族、アミンは北西部のカクワ族出身である。