ヨアヒム・フォン・リッベントロップ
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ドイツ国政治家ヨアヒム・フォン・リッベントロップJoachim von Ribbentrop
フォン・リッベントロップの肖像写真 (1938年4月)
生年月日 (1893-04-30) 1893年4月30日
出生地 ドイツ帝国
プロイセン王国ラインラント、ヴェーゼル
没年月日 (1946-10-16) 1946年10月16日(53歳没)
死没地 アメリカ占領地域
バイエルン州
ニュルンベルク
前職陸軍軍人、貿易商
所属政党 国家社会主義ドイツ労働者党
称号名誉親衛隊大将
一級鉄十字章
配偶者アンナ・エリーザベト・ヘンケル
サイン
第12代 外務大臣
内閣ヒトラー内閣
在任期間1938年2月4日 - 1945年6月14日
総統アドルフ・ヒトラー
ドイツ国イギリス大使
在任期間1936年8月11日 - 1938年2月4日
総統アドルフ・ヒトラー
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軍歴
名誉親衛隊大将の制服を着る
フォン・リッベントロップ (1938年)
所属組織 ドイツ帝国陸軍
プロイセン王国陸軍
親衛隊
軍歴1914年 - 1919年(ドイツ帝国陸軍)
1933年 - 1945年(親衛隊)
最終階級 陸軍中尉
名誉親衛隊大将
除隊後外交官、政治家
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ウルリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(ドイツ語: Ulrich Friedrich Wilhelm Joachim von Ribbentrop、1893年4月30日 - 1946年10月16日)は、ドイツ実業家外交官政治家ヒトラー内閣外務大臣親衛隊での最終階級は親衛隊名誉大将

コンスタンティン・フォン・ノイラートの後任として、ヒトラー内閣外務大臣1938年から1945年にかけて務めた。所謂、モロトフ・リッベントロップ協定のドイツ側調印者である。ニュルンベルク裁判により絞首刑に処せられた。武装親衛隊に志願、大戦を生き延びた親衛隊大尉ルドルフ・フォン・リッベントロップは長男。
生い立ち ? 外務大臣就任まで

ラインラントのヴェーゼル(de:Wesel)にリヒャルト・ウルリヒ・フリードリヒ・ヨアヒム・リッベントロップ(Richard Ulrich Friedrich Joachim Ribbentrop)の子として生まれた[1]。出生時の名はウルリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨアヒム・リッベントロップ。父はプロイセン歩兵連隊を指揮する陸軍中佐だった[1]。母ゾフィー(旧姓ヘルトヴィヒ)はザクセンの地主の娘だった[1]。当時のドイツでは異例のことだが、彼はドイツとスイスの私立学校で10代半ばまで教育を受けている。

フランス語英語に堪能であり、1910年から1914年にかけてドイツワインの貿易商としてカナダで働いた[2]。ここの事業で成功を収め、モントリオールオタワの上流社会の一員となった[3]。イギリス総督府のあったデュー・ホールでの祝典にも必ず招かれる常連の一人となった[3]

しかし1914年に第一次世界大戦が勃発し、ドイツとイギリスが敵国となるとリッベントロップはイギリスに身柄を押さえられることを避けるため、急遽ニューヨーク経由でドイツに帰国した[4]。この頃肺結核を患っていて動けなかった弟のローターはカナダに残り、そのままイギリスに拘束された(1918年に死去している)[4]

帰国したリッベントロップはただちにドイツ陸軍に入って東部戦線に従軍し、中尉まで昇進して一級鉄十字章を授与されている[5]。1918年4月に東部戦線で負傷したのち、駐コンスタンチノープルドイツ大使館勤務を任ぜられている[5]。このコンスタンチノープル時代にハンス・フォン・ゼークト将軍やフランツ・フォン・パーペンの知遇を得ている[6]。ドイツ敗戦後にはゼークト将軍の副官としてパリ講和会議に参加している。ヴェルサイユ条約に身近で接しただけに屈辱は大きかったことを後に回想している[7]

1920年7月に裕福なシャンパン醸造家の娘アンナ・エリーザベト・ヘンケル( Anna Elisabeth Henkell )と結婚し、商売のため欧州各地を転々とする。アンナ・エリーザベトは高慢な女性で、夫を完全に支配下に置き、しばしば「マクベス夫人的存在」と評されている。夫婦は5人の子をもうけた。リッベントロップは伯母(その夫は貴族称号を持っていた)に自分を養子とするよう頼み込んだ[8]。結果としてリッベントロップは貴族称号「フォン」を名前に加えることとなった[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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