ヨアシュ_(イスラエル王)
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ヨアシュ
?????
北イスラエル王

在位紀元前798年頃 - 紀元前782年

死去紀元前782年

子女ヤロブアム2世
王朝イエフ朝
父親ヨアハズ
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ヨアシュ(ヘブライ語: ?????‎ Y?h?’??)は、北イスラエル王国第12代の王で、エフー(イエフ)王朝第3代の王である。ヨアシとも表記する。ヘブライ語で「ヤハウェが与える」という意味。
生涯

(以下、特筆がない場合『列王記』下13章?14章、『歴代誌』下25章より引用。)

ヨアハズ(エホアハズ)の子として生まれ、紀元前798年に王位に就いて16年間王位にあった。彼もヤロブアム王の偶像礼拝の伝統を継承した。

ただし、預言者エリシャには敬意を払い、このため彼が晩年寝込んでいるときに見舞いに向かったところ、エリシャはヨアシュに弓を射るように命じた。そして、アラムに3回勝つことを預言した。祖父エフー、父エホアハズの時に領土の一部がアラムに奪われていたが、アッシリアがこのアラムを征服するようになり、アラムがアッシリヤに過酷な貢物を課せられて国力の衰えた時に、ヨアシュはアラムのベン・ハダデと戦って、奪われていた領土を取り返した。

ヨアシュはまた、ユダ王国アマツヤの挑戦に応じ、ベテ・シェメシュの戦いでユダに大勝してアマツヤを捕らえ、エルサレムに進撃して、神殿の財宝と人質をとってサマリアに凱旋した。

なお、『列王記』(下13:11)では、他の北イスラエルの王と同様「主の御前に悪を行った」で片づけられているが、フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第IX巻8章6節では北イスラエル王の中で唯一良い評価をされており[1]、「彼は徳高高い君子で、その性向は父親と正反対だった。」としている[2]
脚注[脚注の使い方]^ 彼の祖父のイエフは同巻同章1節でバアル信仰廃絶など活動の後「神に対する奉仕を怠っていた。」としており、そこまで評価はよくない。
^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌3 旧約時代編[VIII][IX][X][XI]』株式会社筑摩書房、1999年12月、ISBN 4-480-08533-5、P194。

参考文献

「新聖書辞典」いのちのことば社、1985年










古代イスラエルの王
イスラエル王国

サウル前1000-前961

イシュ・ボシェテ前1000

ダビデ前1000-前962

ソロモン前962-前922

レハブアム前922

ユダ王国

レハブアム前922-前915

アビヤム前915-前913

アサ前913-前873

ヨシャファト前873-前849

ヨラム前849-前842

アハズヤ前842

アタルヤ前842-前837

ヨアシュ前837-前800

アマツヤ前800-前783

ウジヤ前783-前742

ヨタム前742-前735

アハズ前735-前715

ヒゼキヤ前715-前687

マナセ前687-前642

アモン前642-前640

ヨシヤ前640-前609

エホアハズ前609

エホヤキム前609-前598

エホヤキン前598

ゼデキヤ前597-前587

北イスラエル王国

ヤロブアム1世前922-前901

ナダブ前901-前900

バシャ前900-前877

エラ前877-前876

ジムリ前876

オムリ前876-前869

アハブ前869-前850

アハズヤ前850-前849

ヨラム前849-前842

イエフ前842-前815

ヨアハズ前815-前801

ヨアシュ前801-前786

ヤロブアム2世前786-前746

ゼカリヤ前746


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