ユーロビジョン・ソング・コンテスト
Eurovision Song Contest
2011年大会会場のデュッセルドルフ・アレーナ
通称・略称ユーロビジョン、ESC、CEC
正式名称Eurovision Song Contest(英)
Concours Eurovision de la Chanson(仏)
旧イベント名Grand Prix de la Chanson
開催時期毎年5月
初回開催1956年5月24日
会場持ち回り
主催欧州放送連合
⇒公式サイト
テンプレートを表示
ユーロビジョン・ソング・コンテスト
ジャンル大型音楽番組
製作
制作持ち回り
放送
音声形式ステレオ放送
(5.1chサラウンドステレオ)
放送国・地域EBU加盟国
放送期間1956年5月24日
放送時間毎年5月土曜日21:00 - 1:11(2022年現在、CEST)
放送分4時間11分(251)分
回数67
⇒eurovision.tv
特記事項:
1968年大会からカラー放送。2004年大会からハイビジョン製作。
テンプレートを表示
ユーロビジョン・ソング・コンテスト(英語:Eurovision Song Contest、ESC、フランス語:Concours Eurovision de la Chanson、CEC)[1]は、欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって開催される、毎年恒例の音楽コンテストである。 ユーロビジョン・ソング・コンテストでは、各国代表のアーティストはそれぞれ生放送で自らの楽曲を披露し、引き続いてそれぞれの参加国が他国に投票して大会の優勝者を決定する。各国代表の参加者は、欧州放送連合に加盟する全国網の放送局を通じて大会に参加しており、放送局は自国代表のアーティストと楽曲を決定し、また自国の視聴者に大会を生中継する。大会は1956年の第1回大会以降、毎年開催されており、世界的に見ても長寿のテレビ番組のひとつであり[2]、その視聴者の数も1億人から6億人程度と見積もられている[3][4]。2015年、「最長寿年度テレビ音楽コンペティション(国際)」としてギネス世界記録に認定される[5]。 オーストラリア、カナダ、中華人民共和国、エジプト、インド、日本、ヨルダン、メキシコ、ニュージーランド、フィリピン、大韓民国、台湾、タイ王国、ベトナム、ウルグアイなど、大会に参加していないヨーロッパ域外の国々でも放送されたことがあり[6][7][8]、2000年以降は公式サイトよりインターネットでも中継されている[9]。ただし、EBU放送圏外での知名度が低く、ヨーロッパとの文化の類似性が強い北米でも知らない人が多い。この大会をテーマとする米国映画『ユーロビジョン歌合戦 ?ファイア・サーガ物語?』の監督、デヴィッド・ドブキンも脚本を読むまでに、大会の名前すら聞いたことがないと言った[10]。一方、オーストラリアはSBSがユーロビジョン・ソング・コンテストを30年間放送し続けた実績があるため、2015年に初のEBU放送圏外の参加国となった[11]。 冷戦時代の1977年、共産主義国の放送局を中心とするインターヴィジョンがユーロビジョン・ソング・コンテストにならい、ポーランドの音楽コンテスト・ソポト国際音楽祭に基づいてインターヴィジョン・ソング・コンテスト
概要
1950年代、第二次世界大戦後の復興が進んでいたヨーロッパで、スイスに本部を置く欧州放送連合は、加盟国が一体となっての「明るいエンターテイメント番組」を模索するべく臨時委員会を立ち上げた[12]。1955年1月にモナコで開催された委員会では、スイス・テレビジョン(Schweizer Fernsehen
)会長ののマルセル・ブザンソン(Marcel Bezencon)によって、加盟放送局によって全参加国に生中継されるテレビ番組による、国際的な歌唱コンテストを開催する案を取り上げた[12][13]。大会は、イタリアで行われていたサンレモ音楽祭を原型としている[14]。この案はまた、大規模な生放送の技術的な試験でもあった。当時、多くの国々が共同して広域的・国際的な通信網を築くことは、挑戦的な計画であった。当時衛星放送は存在せず、ユーロビジョン・ネットワークと呼ばれる地上でのマイクロ波中継があるのみであった[15]。「ユーロビジョン・グランプリ」の案は、1955年10月19日にローマで開かれた欧州放送連合の総会で採択され、初の大会が1956年春にスイスのルガーノで開催されることが決まった[12]。「ユーロビジョン」の呼称は、1951年にロンドン・イブニング・スタンダード(London Evening Standard)でイギリスのジャーナリスト、ジョージ・キャンピー(George Campey)によって初めて使われた[13]。初のコンテストは1956年5月24日にスイスのルガーノで開催された。7箇国がそれぞれ2つの楽曲をエントリーし、合計14曲によって競われた。この大会はユーロビジョンの歴史上で唯一、各国が複数の曲をエントリーした大会となった。翌年以降の大会では、1国につき1曲とされた。1956年大会で優勝したのは、開催国のスイスであった[16]。
番組ははじめ「ユーロビジョン・グランプリ」(Eurovision Grand Prix)と呼ばれていた。「グランプリ」という呼称はフランス語圏の国々によって採用され、フランス語でははじめ「ル・グランプリ・ユーロヴィジオン・ド・ラ・シャンソン・ユーロペンヌ」(Le Grand-Prix Eurovision de la Chanson Europeenne)と呼ばれていた[17]。