ユーロシティ
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ユーロシティのロゴジュネーヴヴェネツィア行のユーロシティ37

ユーロシティ(EuroCity, 略称 EC)はヨーロッパにおける国際列車列車種別である。「ヨーロッパ都市間特急」などとも訳される。主要駅にのみ停車する優等列車であるが、一般に最高速度は200km/h以下であり、ICEなどの高速列車の運行されている国ではこれらに次ぐ種別と位置づけられている。

TEEや国際インターシティの後継といえる列車であるが、TEEとは異なり一等車二等車の双方を連結するのが原則である。

1987年の夏ダイヤから西ヨーロッパで運行を開始した。当時は夜行列車のユーロシティも存在したが、1993年ユーロナイトとして分離され、以後は昼行列車のみとなった。その後東ヨーロッパへ運行範囲を拡大する一方で、西ヨーロッパでは高速鉄道網の発達により減少傾向にある。

なおオーストリアオーストリア連邦鉄道では、1996年から同国内のみを走る列車にもユーロシティという種別を用いている[1]
歴史
前史1974年-75年冬のTEE網「TEE」および「インターシティ」も参照

西ヨーロッパでは1957年一等専用の国際列車であるTEEの運行が始まった。TEEは最盛期の1974年冬ダイヤ期間には45往復(うち国際列車30往復)が運行され、11ヶ国を結んでいた[2]

しかし1970年代になると国際列車でも二等車の需要が増え、TEEの中にも二等車を含む通常の特急・急行列車に置き換えられるものが現れた。1979年には西ドイツの国内列車であるインターシティがすべて二等車を連結するようになり、元TEEであった国際列車の一部も西ドイツ国内ではインターシティ扱いされるようになった[3]

1980年6月1日のダイヤ改正から国際列車に対しても「インターシティ」の種別名が用いられるようになり、18往復の国際インターシティとされた[3]。その後も国際インターシティの新設やTEEから国際インターシティへの置き換えが進んだ。また1984年1月22日にはフランスパリスイスジュネーヴローザンヌを結ぶ国際TGVがインターシティ扱いされるようになった[4]

1986年冬ダイヤでは53往復の国際インターシティがあり、うち9往復はTGVであった。このとき国際TEEは4往復にまで減少していた[5]
ユーロシティの発足1987年夏ダイヤにおけるユーロシティ網。
緑 : ユーロシティ(昼行在来線列車)
橙 : ユーロシティとして扱われる国際TGV
青 : ユーロシティ(夜行)
赤 : 国際TEE
灰色 : 国際インターシティ

1987年5月31日のダイヤ改正で、TEEや国際インターシティに代わる新たな種別としてユーロシティが発足した。種別名は当初EuroCity(英語)、EuroCite(フランス語)、EuroCitta(イタリア語)の3原語を併記する案もあったが、EuroCityの単独表記とされた[6]

列車がユーロシティとされるためには、以下のような条件を満たす必要があった。

一等車、二等車とも空調設備を備える[7][8]

食堂車を連結する[7][8]

夜行列車の場合は寝台車クシェット(簡易寝台)車のみで座席車は連結しない[9]

表定速度は90km/h以上[7]。ただし山岳路線では80km/hまで緩和される[8]

主要な都市にのみ停車し、方向転換が行なわれる場合を除き停車時間は5分以下[7]

真夜中から午前6時までは客扱いを伴う停車をしない[7]

乗務員と停車駅の駅員は二か国語以上を話せること[7]

国境通過時の出入国管理税関検査は車内で走行中に行なわれること。ただし国境駅を起終点とする場合はこの限りではない[7]

動力は可能な限り多電源対応の電気機関車を用い、国境での機関車交換を不要とする[7]

通常の運賃のほか、特急料金を徴収する[8]

沿線に因んだ列車名をつける[8]

ただしすべての条件が必ずしも満たされていたわけではなく、昼行列車のおよそ4割が表定速度90km/h未満であった[6]。また停車時刻についても、6時以前に発車したり24時以降に終着駅に到着する昼行列車があり、夜行列車でも深夜に客扱いを行なうものがあった[10]

1987年夏ダイヤで運行されていたユーロシティは64往復で、うち7往復は夜行列車であった。これらの列車は13ヶ国(イギリスイタリアオーストリアオランダスイススウェーデン[注釈 1]スペインデンマーク西ドイツノルウェー[注釈 1]フランスベルギールクセンブルク)のおよそ200の都市を結んでいた[6]

昼行ユーロシティの多くは国際インターシティから変更されたものであるが、新たに設定された列車や、インターシティではない特急・急行列車からユーロシティになった列車もある。パリ - ブリュッセル間の「ルーベンス」、「イル・ド・フランス」はTEEからユーロシティになった列車であり、ユーロシティ化後も一等車のみの編成であった。この時のダイヤ改正でTEEラインゴルトアムステルダム - バーゼル)は廃止されており、国際TEEとして残ったのはゴッタルドのみとなっていた[6]

なおすべての国際インターシティがユーロシティになったわけではなく、モン・スニリヨン - ミラノ)、リーグレ(ミラノ - マルセイユ)、ノルトプライン(ハンブルク - フレゼリクスハウン)の3往復はインターシティのままであった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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