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出典検索?: "ユーバーリンゲン空中衝突事故"
ユーバーリンゲン空中衝突事故衝突時のCG。右がバシキール機、左がDHL機
事故の概要
日付2002年7月1日
概要空中衝突
現場 ドイツ ユーバーリンゲン(英語版)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度46分42秒 東経9度10分26秒 / 北緯47.77833度 東経9.17389度 / 47.77833; 9.17389座標: 北緯47度46分42秒 東経9度10分26秒 / 北緯47.77833度 東経9.17389度 / 47.77833; 9.17389
死者総数71(全員)
生存者総数0
第1機体
事故機(2002年3月に撮影)
機種Tu-154M
運用者 バシキール航空
機体記号RA-85816
出発地 ロシア モスクワ
ドモジェドヴォ国際空港[BFU 1][2]
目的地 スペイン バルセロナ
バルセロナ国際空港
乗客数60(うち45人が子供)
乗員数9
死者数69(全員)
生存者数0
第2機体
事故機(1996年8月にブリュッセル空港で撮影)
機種ボーイング757-23APF[1]
運用者 DHL
機体記号A9C-DHL[注釈 1]
出発地 バーレーン国際空港[4][5]
経由地 イタリア ベルガモ
オーリオ・アル・セーリオ空港
目的地 ベルギー ブリュッセル
ブリュッセル空港
乗客数0
乗員数2
死者数2(全員)
生存者数0
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ユーバーリンゲン空中衝突事故(ユーバーリンゲンくうちゅうしょうとつじこ、英語: Uberlingen mid-air collision)は、2002年7月1日の21時35分(UTC)に、バシキール航空2937便(機体:Tu-154M、乗客60人 – 大半は子供 – と乗員9人が搭乗)と、DHL611便(機体:ボーイング757-23APF、パイロット2人が搭乗)が、ドイツ南部の都市ユーバーリンゲン(英語版)の上空で衝突した航空事故である[6]。衝突によりバシキール航空機は空中分解し、DHL機は機体破損のため操縦不能状態に陥り、両機とも墜落し、両機に搭乗していた71人全員が死亡した[7]。
2004年2月24日には事故により家族を失った遺族が、事故時に航空管制を担当していた管制官を捜し出して殺害した事件が起きた[8]。
2004年5月19日にドイツの連邦航空機事故調査局 (BFU) は、この事故は、事故当時これらの便を監視していたスイスの航空管制システムの欠陥と、TCAS(航空機に搭載されている衝突防止装置)が発した警報の取り扱いにおける曖昧性が原因で、発生したという結論を発表した[BFU 1]。
航空機と乗務員
バシキール航空2937便の機体と乗務員
当日のバシキール航空2937便
機体:ツポレフTu-154M
機体記号:RA-85816
製造:1995年
コールサイン:ブラボータンゴチャーリー2937(Bravo Tango Charlie 2937)
運航予定
出発地:ロシア連邦内バシコルトスタン共和国・ウファ
経由地:モスクワ
目的地:スペイン・バルセロナ
運航乗務員:5名
機長:2名(52歳操縦担当・40歳会社のチーフパイロット)
副操縦士:41歳
航空機関士:37歳
航法士:50歳
客室乗務員:4人
乗客:60人
バシキール航空2937便はチャーター便だった。バシキール航空はバシコルトスタンの首都・ウファに本拠地を置く航空会社である。
2937便には乗員9名(運航乗務員5名・客室乗務員4名)、乗客60名の計69名が搭乗していた。乗客の大半は選抜試験に合格した褒賞として、スペインへのツアーに招待されたウファ市内の小中学生及び引率の教師で、同国大統領府及び政府閣僚の子供も含まれていた。