ユーハイム
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株式会社ユーハイム
Juchheim Co., Ltd.
本社(兵庫県神戸市
種類株式会社
本社所在地 日本
650-0046
兵庫県神戸市中央区港島中町7丁目7番4
設立1950年1月 (創業1909年)
業種食料品
法人番号8140001011529
事業内容洋菓子の製造・販売他
代表者河本英雄(代表取締役社長
資本金1億円
売上高186億円(2021年3月期)
従業員数519名(2021年4月1日現在、正社員)
決算期3月
主要子会社株式会社ローゼンハイム
株式会社ペルティエ
ユーハイム シンガポール
フードテックマイスター株式会社
関係する人物カール・ユーハイム
河本春男
外部リンクhttps://www.juchheim.co.jp/
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株式会社ユーハイム(: Juchheim Co., Ltd.)は、兵庫県神戸市中央区港島中町に本社を置く日本の製菓会社である。
概要バウムクーヘン

神戸から全国百貨店などに展開する洋菓子メーカーとしてモロゾフと双璧をなす存在である。引出物として根強い人気を誇るバウムクーヘンをはじめ、クッキーケーキ類を主力商品とする。日本語での呼びやすさを考慮して「ユーハイム」としているが、「Juchheim」という単語をカナ表記する場合「ユッフハイム」としたほうが原語の発音により近い。

バウムクーヘン、クッキーなど焼き菓子は愛知県安城市の中央工場などで一括製造される。鮮度が求められるケーキなど生菓子、半生菓子船橋、神戸、名古屋の各工場や営業所付属の小工場で地区別に製造し、近距離出荷する体制となっている。原則として問屋流通は行わず、直営店、百貨店直納(多くは納品だけでなく専従販売員を派遣する)を主軸としている。バウムクーヘンが婚礼引出物の定番であることから、ホテルや式場への納品も多い。かつてはフランチャイズ展開も行っていたが、現在はほぼ撤退している[要出典]。また、ウィーン菓子のローゼンハイム、フランス菓子のペルティエといったブランドも展開している。

NHK1977年から1978年にかけて放映された連続テレビ小説風見鶏』から起こった「異人館ブーム」の追い風に乗り(このドラマはカール・ユーハイムをモデルにしたものではないが、神戸を拠点に欧州食文化を広めた抑留ドイツ人職人という共通点があった)、1970年代から1980年代にかけて全国各地に出店し、一時は逆上陸の形でドイツに多店舗展開していたこともある。

ユーハイム夫妻の戦前の弟子たちによって設立された株式会社であるユーハイムコンフェクトとは、長年商標を巡って争ってきたが、1955年にいったん共存の形で和解、2004年にはコンフェクト社の親会社が商標を1億4000万円でユーハイム社に譲渡、神戸スイーツポートに社名変更することで「二つのユーハイム」状態に幕が引かれた[1]

東京ディズニーリゾートのオフィシャルスポンサーを開業以来一貫して務めている。この制度は一業種一社原則であるが、同社は品目に制限のある洋菓子メーカーであるため(たとえば園内で需要の多い飴やガムは提供できず、ブランド特性上OEMも難しい)、総合菓子メーカーという別枠で 明治も並んでいる。開業当初はこの位置を森永製菓が務めていた。
沿革

ドイツ人菓子職人のカール・ユーハイム1908年ドイツが所有していた膠州湾租借地内の青島市でジータス&プランベックが経営する喫茶店に就職した。翌1909年にはプランベックよりその店を譲り受け、23歳にして独立を果たす。株式会社ユーハイムはこの年を創業年と位置づけている[2]

1914年第一次世界大戦での青島攻略により、青島が日本軍に制圧され、カールは日本軍の捕虜となり、翌1915年大阪府大阪市西区南恩加島町(現・大正区南恩加島)にあった大阪俘虜収容所へ連行された[3][4]1917年広島県安芸郡仁保島村(現・広島市南区似島町)の似島検疫所に移送となる[5]1919年広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)にて開催された「ドイツ作品展示会」で日本初のバウムクーヘンの製造販売を行った[6]1920年、捕虜生活から解放されると[2]、青島に残っていた妻子を呼び寄せ、東京で喫茶店に勤務した[7]。後に一家は横浜へ移り住み、1922年に店を開く[3][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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