この項目では、旧イギリス国鉄の鉄道駅について説明しています。地下鉄駅については「ユーストン駅 (ロンドン地下鉄)」、「ユーストン・スクエア駅」をご覧ください。
ユーストン駅
Euston station
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ユーストン駅セントラル・ロンドンの地図上でのユーストン駅の位置
所在地
ユーストン・ロード
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度31分43.32秒 西経0度8分4.2秒 / 北緯51.5287000度 西経0.134500度 / 51.5287000; -0.134500ユーストン駅(ユーストンえき、英語:Euston station)は、ロンドン中心部北部の主要な鉄道駅であり、カムデン・ロンドン特別区にある。ロンドンで6番目に乗降客数の多いターミナルである[2]。ネットワーク・レールの管理する18の旧イギリス国鉄の駅のうちの1つであり[3]、ウェスト・コースト本線南の終着駅である。ユーストン駅はロンドンからウェスト・ミッドランズ、ノース・ウェスト・イングランド、ノース・ウェールズそしてスコットランドへの向かう際の玄関口である。地下鉄ユーストン駅に接続していて、同ユーストン・スクエア駅にも近い。これらの駅はすべてトラベルカード・ゾーン1内にある。 現在の駅舎は現代的なインターナショナル・スタイルだが、ユーストン駅はロンドンのターミナル駅の中で最も古い部類に入る。 駅と鉄道の経営は何度も変更され、駅の所有者は、ロンドン・アンド・バーミンガム鉄道
歴史
旧駅舎錬鉄製のトレイン・シェッドを持つ1837年のユーストン駅を描いた絵駅の入口にあったユーストン・アーチ(1896年の写真)
ユーストン駅は、ロンドン・アンド・バーミンガム鉄道の終着駅として、1837年7月20日に開業した。駅舎は古典主義建築家フィリップ・ハードウィック(Philip Hardwick)によって設計された[4]。ハードウィックはまた、過去最大[5]の高さ22メートル(72フィート)のドーリア式プロピュライアも設計した。それは駅の入口に立つポーティコ(古代建築の柱廊玄関)で、"ユーストン・アーチ"として有名である。トレイン・シェッドの設計は、技師のチャールズ・フォックス(Charles Fox)によるもので、長さ61メートル(200フィート)の錬鉄製だった。プラットフォームは出発と到着の2つしかなかった。
この鉄道の建設には著名な鉄道技師ロバート・スティーブンソンが関わっていた。興味深いことに、スティーブンソンの当初の計画はノース・ロンドンを通って現在キングス・クロス駅がある場所に終着駅を設ける、というものであったが、地主からの激しい反対に遭い断念していた。
ユーストンとカムデン・タウンの間には運河を渡る橋があり、両側が急こう配となっていた。開業時にはこれを乗り越えられる機関車がなく、1844年まで、列車はケーブルで引き上げられていた。
この駅の利用者は急激に増加したため、1840年代に大規模な拡張工事が行われた。1849年には壮観な"グレート・ホール"が完成した。グレート・ホールはハードウィックの息子フィリップ・チャールズ・ハードウィック(Philip Charles Hardwick)設計の古典様式で建てられたコンコースで、長さ38メートル(126フィート)、幅19メートル(61フィート)、高さは20メートル(64フィート)あり、格間を施した天井とホール北側にある駅事務室へと導く大きな2つ階段を備えていた。壁にはロンドン、リヴァプール、マンチェスターなどの鉄道で結ばれる都市を表現した8つの彫像が埋め込まれていた。
その後も駅の拡張は継続的に行われ、1892年にはプラットフォームは15番線まで増えた。1914年にはタクシー乗り場を移設して、新しい切符売り場とホールが建設された。
旧駅舎はユーストン・ロードから離れており、ドラモンド・ストリートに面していた[6]。ユーストン・スクエアからアーチへの短い道はユーストン・グローブと呼ばれ、ユーストン・ホテルとビクトリア・ホテルという2つのホテルがこの道の北側にあった。
"グレート・ホール"にあったジョージ・スティーブンソンの像と駅舎取り壊しの際に発見された1846年製の転車台が、ヨーク のイギリス国立鉄道博物館に収蔵されている。ジョージ・スティーブンソンはロバート・スティーブンソンの父で蒸気機関車の発明者である。
"グレート・ホール" 1914年
乗り場 1944年
トレインシェッド 1962年
到着ホール 1962年
新駅舎駅舎ファサード(2012年)コンコース(2012年)