ユージーン・B・フラッキー
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ユージーン・ベネット・フラッキー
Eugene Bennett Fluckey
ユージーン・ベネット・フラッキー(1963年)
渾名ラッキー[1]
生誕1913年10月5日
ワシントンD.C.
死没 (2007-06-28) 2007年6月28日(93歳没)
メリーランド州 アナポリス
所属組織 アメリカ海軍
軍歴1935 - 1972
最終階級 海軍少将
指揮バーブ
ハーフビーク
太平洋艦隊潜水部隊
戦闘第二次世界大戦
除隊後孤児院経営
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“ラッキー”ユージーン・ベネット・フラッキー(Eugene Bennett Fluckey, 1913年10月5日-2007年6月28日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は少将名誉勲章受章者。潜水艦バーブ (USS Barb, SS-220) の艦長として空母雲鷹撃沈、樺太攻撃など数々の戦功を挙げた。
生涯
前半生

“ラッキー”こと、ユージーン・ベネット・フラッキーは1913年10月5日にワシントンD.C.で生まれた。ウェスタン・ハイスクール(英語版)およびペンシルベニア州マーサーズバーグ(英語版)のマーサーズバーグ・アカデミーで学び、海軍兵学校(アナポリス)受験に備えてワシントンのコロンビアン・プレパラトリー・スクールに通う。フラッキーは1931年にアナポリスに入学し、1935年6月に卒業して少尉候補生となる。卒業年次から「アナポリス1935年組」と呼称されたこの世代には、太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル(アナポリス1904年組)の息子で、潜水艦ロバロー (USS Robalo, SS-273) 艦長のマニング・キンメル[2]シーライオン (USS Sealion, SS-315) 艦長として戦艦金剛を撃沈したエリ・トーマス・ライヒ(英語版)[3]らがいる。

卒業後のフラッキーは戦艦ネバダ (USS Nevada, BB-36) に配属され、次いで駆逐艦マコーミック(英語版) (USS McCormick, DD-223) に乗艦した。1938年6月、フラッキーはコネチカット州ニューロンドンの潜水学校に進み、受講後はS-42(英語版) (USS S-42, SS-153) 配属を経て1938年12月にボニータ (USS Bonita, SS-165) 勤務となり、5回の哨戒を経験する。1942年8月にボニータを離れてからはアナポリスで船舶工学の高等課程を受講した。
「バーブ」艦長「バーブ (潜水艦)」も参照

1943年11月、フラッキーはニューロンドンに赴き、太平洋艦隊潜水部隊に配属されるバーブの艦長に就任することを通告された。バーブはここまで大西洋太平洋で7回の哨戒を経験し、4月25日にミッドウェー島に帰投したところであった。フラッキーは4月27日に着任し、以後バーブの艦長として5回の哨戒を行って「第二次世界大戦での偉大な潜水艦長」の一人として地位を確立することとなった。1945年7月22日夜には、乗組員で上陸部隊を編成し樺太東線に爆薬を仕掛けて16両編成の列車を吹き飛ばしたが[4]、これは第二次世界大戦中唯一の、潜水部隊による「上陸作戦」として記録された。フラッキーは上陸作戦を行うにあたり、艦のあらゆる配置から志願者を求め、またボーイスカウト出身者を特に選んで編成した。かくて編成された「上陸部隊」は、ポール・サンダース(英語版)を筆頭にウィリアム・ハットフィールド、フランシス・セイヴァー、ローレンス・ニューワード、エドワード・クリングスミス、ジェームズ・リチャード、ジョン・マークソンおよびウィリアム・ウォーカーといった顔ぶれで編成され、ハットフィールドは線路の下に爆薬を仕掛け、遠隔操作で爆破できるようコードを張り巡らす担当に就いた。

フラッキーはバーブでの哨戒のうち、11回目の哨戒を除く4つの哨戒での功績で海軍十字章を授与された。11回目の哨戒では中国沿岸部42キロ範囲内、水深約37メートルの浅海にあった2つの船団に対して後方から攻撃を仕掛け、2隻の護衛艦が追跡してきたのを受けでバーブは通常比150パーセントのエンジン出力を行って23.5ノットの高速で海域を抜け出した。このフラッキーの顕著で大胆な攻撃に対して、海軍十字章より上の名誉勲章が授けられた。また、8回目と11回目の哨戒に対しては殊勲部隊章(英語版)を、12回目の哨戒に対してはさらに海軍部隊表彰(英語版)も受章した。フラッキーは、1992年に出版した自著 "Thunder Below!" でバーブでの日々を次のように述べている。「砲弾、爆弾および爆雷をもってバーブを痛めつけようとも、バーブはそのたびにパープルハートをもらうことなく潜り抜けて、いつでも戦う準備が整っていた」[4]
戦後のキャリア

1945年8月、フラッキーはグロトンに赴き、建造中のドッグフィッシュ (USS Dogfish, SS-350) が竣工した暁には艦長に就任することを聞かされる。しかし、ジェームズ・フォレスタル海軍長官の命で艦長の話は取り消され、代わって統合軍計画に参画させた。


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