ユーゴスラビア空爆
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出典検索?: "アライド・フォース作戦" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年8月)
コソボの位置1999年3月28日に攻撃出撃するF-15E

アライド・フォース作戦(アライド・フォースさくせん、Operation Allied Force)は、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟諸国がコソボ紛争末期の1999年に実施した航空攻撃を主とする作戦。作戦名の“Allied Force”とは「連合軍」の意。この作戦によって行われた大規模な空爆を「コソボ空爆」と呼ぶ。

ユーゴスラビア連邦共和国首都であるベオグラードや、コソボモンテネグロの軍事施設に限定された攻撃であったが、NATOはセルビア系による民族浄化などの不法行為を根拠にユーゴスラビア全域を攻撃の対象とするようになった。
背景詳細は「コソボ紛争」を参照

NATOの目的は当初からコソボのアルバニア系住民をユーゴスラビアの武装警察や民兵から保護し、コソボの自治権を奪還させることであった。アメリカ合衆国は会談期限が切れるまでに合意に達しなかった場合の武力行使を示唆し、これを支持するイギリスを中心としたNATO加盟諸国はイタリアマケドニア共和国に軍を展開させた。1999年3月15日にパリで行われた2度目の和平交渉が行き詰ると、NATOは攻撃を決定し、航空攻撃の主力はイタリアに駐留する第5戦術航空軍 (5th Tactical Air Force) が任ぜられた。

第5戦術航空軍はイタリアに展開する航空機約270機の他に、アドリア海に展開したアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ギリシャなどの国から派遣された多国籍艦隊も指揮下に入った。この多国籍艦隊は、アメリカ海軍原子力空母セオドア・ルーズベルトミサイル巡洋艦ヴェラ・ガルフレイテ・ガルフ、水陸両用即応群の強襲揚陸艦キアサージの他、イギリス海軍軽空母インヴィンシブルフランス海軍空母フォッシュ駆逐艦9隻、フリゲート10隻、潜水艦3隻からなっていた。
経過
概要フランス空軍の戦闘機ミラージュ2000

NATOが攻撃を決定する前後からイタリアに進出する航空機は増加の一途をたどり、多国籍艦隊の航空機を含めればアライド・フォース作戦が開始された1999年3月24日の頃には1000機以上になっていた。他にもアメリカとイギリス本国から戦略爆撃機が出撃し、空爆に参加した。攻撃の対象はユーゴスラビアの防空部隊と重要な軍事施設の破壊に振り向けられたが、天候に恵まれず効果は薄く、それは湾岸戦争イラク戦争で行ったような精密爆撃に程遠いものでもあった。

攻撃の主力となったのはアメリカ空軍であったが、イギリス空軍も多数の支援航空機を派遣した。また、第二次世界大戦後初めての実戦参加となるドイツ連邦軍空軍もNATOの一員として戦闘に参加した。空爆の開始から一週間経過した後もセルビア系による民族浄化が進められ、国際連合はコソボのアルバニア系難民が850,000人に達したことを4月に発表した。一方でユーゴスラビア側はアルバニア系難民の増加はNATOの爆撃に起因するものであると主張した。

4月になるとNATOはコソボへの地上部隊侵攻を検討しはじめた。冬装備の準備やギリシャとアルバニアの港湾から侵攻ルートに至る道路の整備を行うには時間が少なく、編成は急を要した。そして、アメリカのビル・クリントン大統領はその兵力の多くがアメリカに依存することに消極的であった。同じ頃、フィンランドロシアの外交チームはスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領に譲歩するよう説得を繰り返した。ミロシェヴィッチ大統領が同意する6月まで空爆は続けられた。
1999年3月末トマホークを発射するDDG-66 ゴンザレスユーゴスラビア軍の使用していた地対空ミサイル S-125。撃墜されたMiG-29と、それを調べるNATO軍人 (3月27日撮影)。

作戦は、3月24日の早朝、アメリカ空軍所属のB-52JDAMGPS誘導爆弾による空爆と、アメリカ海軍艦とイギリスの潜水艦スプレンディッドCALCMトマホーク巡航ミサイルによって開始した。作戦開始時の攻撃目標は、ユーゴスラビア連邦共和国の空軍基地や防空に関わる重要な領地、軍司令部などであった。その後攻撃に参加した11カ国の軍用機も参戦し、大規模な空爆を行った。全攻撃グループは、アメリカ空軍所属のF-15 イーグルF-16 ファイティングファルコンF/A-18 スーパーホーネット、フランス空軍所属のミラージュ2000による護衛を受けていた[1]

それらの航空戦力に対抗すべく、ユーゴスラビア軍第127航空連隊に所属する4機のMiG-29が迎撃のため緊急発進した。それに対しアメリカ空軍所属のF-15Cが、AIM-120AIM-7を発射し、緊急発進した4機のうち2機のMiG-29を撃墜している。また、同日の夜には、オランダ空軍の第322飛行隊所属のF-16Aにより、MiG-29の一個編隊を迎撃、1機のMiG-29を、AIM-120による正面攻撃で撃墜している。

3月26日の昼間には、F-15がAIM-120を発射し、2機のMiG-29を撃墜している。

3月27日から28日にかけての夜には、アメリカ空軍所属のF-117がユーゴスラビア軍の地対空ミサイルS-125 (SA-3)によって撃墜されている。パイロットは射出座席で脱出、後に救助されている。
1999年4月

3月末から4月にかけて、アメリカ空軍のB-52とB-1Bが追加戦力としてイギリスに到着した。4月1日には、100機以上の軍用機が、ユーゴスラビア連邦共和国に向けて飛び立ち、空爆を行った。4月2日には、B-1Bが作戦の開始から初めて攻撃に参加、巡航ミサイルによりユーゴスラビア連邦共和国内務省のビルに大きな損害を与えた。

4月7日から4月8日にかけては、アメリカ本土から飛び立ったB-2がさらなる攻撃を行った。4月半ばにかけては、C-130C-17Aなどの大型輸送機が、コソボの難民数百人に対し、食料やキャンプなどをアルバニアへ向け輸送している。


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