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ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国章
他の種類
1946年-1963年の国章。5つの松明が描かれ、赤い星と麦の束の間には光線が加わっている
1943年-1946年の国章。松明が麦束から離れている
詳細
採用1963年
トースムギ
ユーゴスラビアの国章(ユーゴスラビアのこくしょう)では、過去に「ユーゴスラビア」の国名を名乗ったことのある国家の国章について解説する。但し、ユーゴスラビア連邦共和国の国章については、「セルビア・モンテネグロの国章」を参照されたい。 ユーゴスラビア王国の国章は、セルビア王国の王家オブレノヴィッチ家の紋章を使用しており、この国章は現在もセルビアの国章として使われている。ただし鷲の中央の紋章には手が加えられ、セルビア十字を配したセルビアの紋章は左上に寄せられて、右上にクロアチアの紋章である赤白のチェック(シャホヴニツァ)が、下部には青地に上向きの白い三日月とツェリェ伯家の三つの黄色い六芒星が描かれたスロベニアの紋章が置かれた。[1]ユーゴスラビア王国 (1918年-1943年) の国章。鷲の胸の盾こそ違うが、現在はセルビアの国章になっている。 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国章は、合わさった6つの松明を、「29-XI-1943」と書かれた青いリボンで束ねられた麦のリースで囲んで、その上に赤い星を配置したものである。ユーゴスラビアを構成する各共和国もそれぞれ国章を持ったが、赤い五芒星を上に配するデザインはどの共和国章にも共通するものだった。[1] 6つの松明は連邦を構成する6つの共和国の「兄弟愛と統一」を意味し、「29-XI-1943」の文字は、第二次世界大戦中の1943年11月29日に、ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議がヤイツェで開催した第2回会合で、戦後のユーゴスラビアの連邦共和国の体制を決定する合意が採択されたことを記念する。 1963年の改定以前は松明の数は5つであった。これはスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人という5つの主要民族を表したものであった(ムスリム人が民族として認められたのは1960年代後半であった)。 連邦共和国国章作者国章構成物現在の国章
ユーゴスラビア王国
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
構成共和国の国章
ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国不明植物左側に松の枝、右側に落葉樹の枝、中央下に2束の小麦
ボスニア・ヘルツェゴビナの国章
背景ヤイツェの町並み
産業煙を出す2本の煙突
装飾赤いリボン
クロアチア社会主義共和国Antun Augustin?i?とVanja Radau?[2]植物小麦
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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