ユーグ10世・ド・リュジニャン
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ユーグ10世・ド・リュジニャン
Hugues X de Lusignan
ラ・マルシュ伯
アングレーム伯

在位ラ・マルシュ伯:1219年 - 1249年
アングレーム伯:1220年 - 1246年

出生1183/95年

死去1249年6月5日

配偶者アングレーム女伯イザベル
子女一覧参照
家名リュジニャン家
父親ラ・マルシュ伯ユーグ9世
母親マティルド・ダングレーム
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ユーグ10世・ド・リュジニャン(Hugues X de Lusignan, 1183/95年 - 1249年6月5日)は、中世フランス王国の貴族でラ・マルシュ伯(ユーグ5世、在位:1219年 - 1249年)、アングレーム伯(ユーグ1世、在位:1220年 - 1246年)。ラ・マルシュ伯ユーグ9世の子。リュジニャン家出身で、エルサレムギー・ド・リュジニャンは同族に当たる。イングランドジョンの2番目の妃イザベラ・オブ・アングレームの再婚相手として知られている。
生涯

父ユーグ9世はアングレーム伯領の相続人のイザベラと婚約を結んでいた。ところが、イングランド王ジョンがイザベラと結婚したことにより、ユーグ9世はフランス王フィリップ2世に訴えた。フィリップ2世はジョンに法廷の出頭を命じたが(ジョンはフランス南部のアキテーヌ公も兼ねていて、フィリップ2世の家臣でもあった)、ジョンが拒絶したことによりフィリップ2世はジョンの大陸領没収を宣言、アンジュー帝国の崩壊に繋がった。

1219年第5回十字軍に参加した父がダミエッタで亡くなったためラ・マルシュ伯領を相続、1216年にジョンが亡くなり未亡人となったイザベラと1220年に結婚した。この結婚でアングレーム伯領も手に入れ、西フランスの有力貴族にのし上がった。1241年に継子のヘンリー3世と共にルイ9世に反乱を起こしたが、鎮圧された。

1246年にイザベラが亡くなった後は長男のユーグ11世にアングレームを譲り、3年後に死去。ラ・マルシュ伯領もユーグ11世が相続した。
子女

イザベラとの間に9人の子を儲けた。
ユーグ11世(1221年 - 1250年) - アングレーム伯、ラ・マルシュ伯

アイマー(1222年 - 1260年) - ウィンチェスター大司教

アガーテ(1223年 - 1269年) - シャトーの領主ギヨーム・デ・ショヴィニと結婚

アリス(1224年 - 1256年) - サリージョン・ド・ワーレンと結婚

ギー(? - 1264年)

ジョフロワ(? - 1274年)

ウィリアム(? - 1296年) - ペンブルック伯

マルグリット(1226年/1228年 - 1288年) - トゥールーズ伯レーモン7世と結婚

イザベラ(1234年 - 1299年) - モーリス・ド・クランと結婚、ジョフロワ・ド・ランゴンと再婚

参考文献

佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』講談社現代新書、2009年

先代
ユーグ9世ラ・マルシュ伯
1219年 - 1249年次代
ユーグ11世

先代
エマール・タイユフェルアングレーム伯
1220年 - 1246年
イザベラ・オブ・アングレームと共治)次代
ユーグ11世

典拠管理データベース
全般

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