ユリシーズ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ジェイムズ・ジョイス小説について説明しています。語源となるギリシア神話英雄については「オデュッセウス」を、その他の用法については「ユリシーズ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ユリシーズ
Ulysses
初版(1922年)
作者ジェイムズ・ジョイス
アイルランド
言語英語
ジャンル長編小説
発表形態雑誌連載(第14挿話まで)
初出情報
初出『リトル・レビュー』(アメリカ合衆国1918年3月 - 1920年12月
刊本情報
刊行1922年2月2日シェイクスピア・アンド・カンパニー書店パリ
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
テンプレートを表示

『ユリシーズ』(Ulysses)は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日パリシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つであり[1]プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する大長編小説とみなされている[2][3]

物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという[4]

意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンドT・S・エリオットといったモダニストたちから大きな賞賛を受ける一方、初期の猥褻裁判をはじめとする数多くの反発と詮索とをも呼び起こした。
執筆背景

ジョイスがはじめてホメロスの『オデュッセイア』に出会ったのは、チャールズ・ラムの子供向けの再話である『ユリシーズの冒険』を介してであり、この作品によってオデュッセウスのラテン名「ユリシーズ」が彼の記憶に刻まれたものと見られる。学生時代には、ジョイスは「私の好きな英雄」と題した作文でオデュッセウスを取り上げている[5][6]。『ユリシーズ』執筆中の時期には、友人のフランク・バッジェンに対して「文芸上の唯一のオールラウンド・キャラクター」は、キリストでもファウストでもハムレットでもなくオデュッセウスだと力説している[7]

ジョイスが『ユリシーズ』と題した作品を書こうと思い立ったのは、1906年であり、実在するダブリン市民ハンターをモデルとした短編として『ダブリン市民』に収めるつもりであったが、これは構想だけで筆が進まず頓挫した[8]。また、ジョイスは、『ダブリン市民』を執筆中、この連作集のタイトルを『ダブリンのユリシーズ』にすることも考えていたと述べている[9]。その後、『若き芸術家の肖像』を半分ほど書き上げた頃、『オデュッセイア』がその続きとなるべきだと考え[9]、1914年末から1915年初頭頃に『ユリシーズ』に着手した[8]

ジョイスは、作品の全体像を最初から持っていたわけではなく、ある程度書き進めながら着想を掴んでいった。1915年6月の段階では、22の挿話で構成することが考えられていたが、その後17に減り、最終的に18に落ち着いた[10]。作品の舞台はダブリンであるが、執筆の場はチューリヒであり、1920年からは住居をパリに移し、1922年の最初の刊本印刷の間際まで入念な推敲が続けられた[11]
特徴
構成

『ユリシーズ』の物語は18の章(挿話)に分かれており、『リトル・レビュー』連載時には各挿話に『オデュッセイア』との対応を示唆する章題が付けられていた(刊本では除かれている)。ジョイスは友人や批評家のために、『ユリシーズ』と『オデュッセイア』との構造的な対応を示す計画表(スキーマ)を作成しており、これには『オデュセイア』との対応関係だけでなく、各挿話がそれぞれ担っている象徴、学芸の分野、基調とする色彩、対応する人体の器官といったものが図示されている。「計画表」にはいくつかの異なったバージョンがあるが、差異は副次的なもので大きな食い違いはない[12](計画表自体については後述:#梗概に併記)。

また、ジョイスは、後述する『ユリシーズ』に対する猥褻裁判の担当弁護士でジョイスのパトロンでもあったジョン・クィンへの書簡(1920年)のなかで、『ユリシーズ』の構成が『オデュッセイア』の伝統的な三部分割に対応していることを示している[12]。すなわち、作家志望の青年スティーブン・ディーダラスがその中心となる最初の三挿話は、父オデュッセウスの不在に悩むテレマコスの苦悩を描く『オデュッセイア』前半部(第一部「テレマキア」)に対応する。本作の中心人物である中年の広告取りレオポルド・ブルームが登場しダブリン市内のあちこちを動き回る第四挿話から第十五挿話までが、オデュッセウスの冒険を描く『オデュッセイア』の基幹部(第二部「オデュッセイア」[13])に対応する。そして、ブルームがスティーブンを連れて妻モリーの元に戻って来る最後の三挿話が、オデュッセウスの帰還を扱う『オデュッセイア』後半部(第三部「ノストス」=帰郷)に対応している。

小説のプロットを神話と対応させるこの方法は、『ダブリン市民』に所収の「死者たち」から徐々に試みられていたものである[14]T・S・エリオットは、これを「神話的方法」と呼び、『ユリシーズ』出版に際してこの手法の開発を科学上の新発見になぞらえて賞賛した[15]
文体

ジョイスは『ユリシーズ』の18の章をそれぞれ「同業者には未知で未発見の十八の違った観点と同じ数の文体」で書くことを試みている[16]。前半の文体を特徴付けているのは「内的独白」ないし「意識の流れ」と呼ばれる手法であり[17]、主要人物の意識に去来する想念を切れ目なく直接的に映し出してゆく。この手法に関しては、ジョイスは交流のあったフランスの作家エドゥアール・デュジャルダン(英語版)の『月桂樹は切られた』から影響を受けたことを認めている[18]

「意識の流れ」は一人の人物に焦点を合わせる手法であるが、『ユリシーズ』の後半では語りの視点が複数化・非個人化するとともに作者固有の文体というべきものが消失し、古今のさまざまな文章のパスティーシュを含む実験的手法がとって代わる[19][20]。特にその実験が顕著なのが第14挿話であり、ここでは古代から現代にいたる、30以上の英語文の文体見本となっている。そして、最後の章では、主人公ブルームの妻モリーの滔々とした独白、つまり他者の声によって終わる[21]。こうした後半の文体について、ディヴィッド・ヘルマンは、前半の語りの主体である「語り手」に対して、「編成者」という名称を使用している[22]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:72 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef