ユリアン・ナーゲルスマン
RBライプツィヒ監督時代(2020年)
名前
ラテン文字Julian Nagelsmann
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1987-07-23) 1987年7月23日(36歳)
出身地バイエルン州ランツベルク
身長189cm
選手情報
ポジションDF
ユース
FCイッシング
アウクスブルク
2002-2006 1860ミュンヘン
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2006-2007 1860ミュンヘンII 0 (0)
2007-2008 アウクスブルクII 0 (0)
監督歴
2008 アウクスブルク ユース
2008-2010 1860ミュンヘン U-17 (AC)
2010-2011 ホッフェンハイム U-17(AC)
2011-2012 ホッフェンハイム U-17
2012-2013 ホッフェンハイム (AC)
2013-2016 ホッフェンハイム U-19
2016-2019 ホッフェンハイム
2019-2021 ライプツィヒ
2021-2023 バイエルン・ミュンヘン
2023- ドイツ代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
ユリアン・ナーゲルスマン(ドイツ語: Julian Nagelsmann, 1987年7月23日 - )は、ドイツ・ランツベルク・アム・レヒ出身の元アマチュアサッカー選手[1][2]、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。
ブンデスリーガ史上最年少監督(28歳)[3]。 地元アマチュアクラブのFCイッシングの育成部門出身。その後FCアウクスブルクのジュニアユースを経て当時ドイツ・ブンデスリーガ2部に属していたTSV 1860ミュンヘンのU17チームに移籍。2006-07シーズンに同クラブのセカンドチームへ昇格するも負傷の影響で試合には出場できなかった[4]。 2007-08シーズン、古巣FCアウクスブルクのセカンドチーム(ドイツ5部所属)に移籍するものの公式戦出場は無し。プロ入りを果たすことはなく[5]、膝の負傷によって2007-08シーズン途中に20歳で現役を引退した。 20歳の時、父親を自殺で亡くした[6]。 シーズン途中での引退発表のためクラブとの契約が残っており、当時アウクスブルクUの監督を務めていたトーマス・トゥヘルの下でスカウトとして働いた[4]。その時にトゥヘルに指導者の道に挑戦した方がよいと言われ、1860ミュンヘンからU-17のアシスタントコーチのオファーを受けたため指導者としてのキャリアをスタートさせる事を決めた[7][8]。 その2年後TSG1899ホッフェンハイムに移るとU-17チームのアシスタント、U-17監督、トップチームアシスタントを務め、2013-14シーズンに就任したホッフェンハイムU-19チームでは当時26歳でチームをU-19年代のドイツ王者に導いた[4][9]。翌シーズンも決勝まで進出したがシャルケ04に敗北し準優勝となった[10]。 2015年10月、2016-17シーズンからホッフェンハイムのトップチームを率いることが発表されたが[11]、2016年2月11日、前監督のフーブ・ステフェンスが健康上の理由で辞任したことによって、前倒しでの監督就任が発表された[12]。28歳での監督就任はブンデスリーガ史上最年少での監督就任で、スポーツ界においては史上3番目の最年少での監督就任であった[注 1][13]。就任時、チームは降格圏内である17位に位置していたが残り14試合で7勝2分5敗という成績を残し残留を勝ち取った[14]。 翌2016-17シーズンには3バックを軸にした3-1-4-2を採用するなど自身の特色を出しつつ[15]、前年度に残留争いに巻き込まれていたチームをボルシア・ドルトムントと3位争いを繰り広げるまでに躍進させた[16]。クラブは4位でシーズンを終え、ホッフェンハイムはクラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。シーズン終了後に契約を2021年まで延長するという報道もあったが[17]、2019-20シーズンからのRBライプツィヒ監督就任が内定し[18]、2018-19シーズンの契約満了をもって退任した。 2018-19シーズン終了後、RBライプツィヒの新監督に就任した[18]。UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグを首位で突破、ラウンド16ではモウリーニョ率いるトッテナムに勝利し、32歳231日でベスト8進出を果たしたUCL史上最年少の監督となった[19]。
経歴
選手
指導者
ホッフェンハイム
ライプツィヒ
バイエルン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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