ユブラジ・デッシィ
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ユブラジ・デッシィ

プロフィール
リングネームジンダー・マハル
ラジ・シン
ラジャ・シン
タイガー・ラジ・シン
ラジ "ザ・フューチャー" デシ
本名ユブラジ・シン・デッシィ
ニックネーム現代のマハラジャ
ニュー・アメリカン・ドリーム
平和をもたらす男
マン・オブ・ピース
ハードボディ・マハル
エンライテンド・ワン
身長196cm
体重108kg
誕生日 (1986-07-19) 1986年7月19日(32歳)
出身地 カナダ
アルバータ州カルガリー
所属WWE
トレーナーリック・タイタン
バッドニュース・アレン
ガマ・シン
デビュー2002年
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ユブラジ・デッシィ(Yuvraj Singh Dhesi、1986年7月19日 - )は、カナダプロレスラーアルバータ州カルガリー出身のインド系カナダ人[1]WWEにてジンダー・マハル(Jinder Mahal)のリングネームで活動。

伯父のガマ・シン[2]、従兄弟のガマ・シン・ジュニア[3]もプロレスラーである。
目次

1 来歴

1.1 キャリア初期

1.2 WWE

1.3 インディー団体

1.4 WWE


2 その他

3 得意技

4 獲得タイトル

5 入場曲

6 脚注

7 外部リンク

来歴
キャリア初期

リック・タイタンが主宰するアルバータのマーシャルアーツ・フィットネスセンターにてトレーニングを開始。PMW(Premier Martial Arts Wrestling)にてリングネームをラジ "ザ・フューチャー" デシ(Raj "The Future" Desi)としてプロレスラーデビューを果たす。ロス・ハートとブルース・ハートが主宰するStampedeでもトレーニングを始め、ガマ・シンからプロレスの基礎を叩き込まれた。

2005年新日本プロレスロサンゼルス道場にてバッドニュース・アレンに師事。Stampedeではガマ・シン・ジュニアとタッグチームを結成。Stampedeインターナショナルタッグチーム王座を2回獲得。PWA(Prairie Wrestling Allian)、GNW(Great North Wrestling)などの団体にも参戦。
WWE

2009年12月、WWEのトライアウトを受けるためにフロリダに行き、傘下団体であるFCWにてトライアウトに臨んだ。当時、WWEが南アジア系のレスラーを探していたことを知り、面接ではイスラム教徒の正装であるターバンを巻いてインド系カナダ人であることを主張。レスリングスキルも評価されていたことも相まって合格することができた。 2012年

2010年1月にディペロップメント契約を交わし入団。FCWにてジンダー・マハル(Jinder Mahal)のリングネームでデビュー。10月からタッグでの出場機会が増え、ジェイコブ・ノヴァックと組んで活動。

2011年4月29日、SmackDownにてグレート・カリと会話し終えたレイ・ミステリオに続いて登場。カリとランジン・シンとヒンディー語で会話をして去った。5月より本格的にヒールとして活動するようになり、ランジン・シンを差し置いてカリを言いなりにすることに成功する(ギミック上、富豪にしてカリの妹の夫であるマハルは、離婚をすると脅しをかけた)が最終的には怒りを買い反逆され、シングルで活動することになった。11月より同じ富豪であるにもかかわらず一般人との交流を深めているテッド・デビアスとの抗争が展開したが、デビアスの負傷により抗争終了。Superstarsを中心に活動し、ヨシ・タツやエゼキエル・ジャクソンを相手に勝利を重ねる。また、SmackDown!にも出場していたが敗戦が多かった。この頃にインドの階級を表す赤もしくは白のパグリ(ターバン)を頭に着けるようになり、試合前に専用のケースに入れていた。

2012年、NXTに登場するようになり、初代NXT王者を決めるゴールドラッシュトーナメントにて準優勝した。9月、ヒース・スレイタードリュー・マッキンタイアと3人組ユニット、3MBを結成。役割を「チームのひょうきんもの」、「道化役」と実況から例えられた。また、パグリは黒いものへ変更。

2014年6月、WWEから解雇となる[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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