ユニリーバ
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ユニリーバ
Unilever plc


ロンドンの本社「ユニリーバ=ハウス」(上)と
ロッテルダムの旧オランダ本社(下)
種類株式会社
市場情報Euronext: UNA
LSE: ULVR
NYSE: UL
本社所在地 イギリス
Unilever House, 100 Victoria Embankment, ロンドン
設立1930年 (94年前) (1930)
業種日用消費財
事業内容生活用品製造及び販売
売上高約507億2400万ユーロ(2020年)
営業利益約83億300万ユーロ(2020年)
純利益約60億7300万ユーロ(2020年)
総資産約676.5億5900万ユーロ(2020年)
従業員数15万5000人(2021年)
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ユニリーバ(Unilever plc)は、イギリスロンドンに本拠を置く世界有数の一般消費財メーカー。食品洗剤ヘアケアトイレタリーなどの家庭用品を製造・販売する多国籍企業。戦後から世界進出に積極的であり、現在世界180ヵ国以上に支店網を擁する。
前史

イギリスの石鹸会社「リーバ・ブラザーズ(Lever Brothers)」と、オランダのマーガリン会社「マーガリン・ユニ(Margarine Unie)」が、1930年「ユニリーバ」として経営統合した[1]
リーバ・ブラザーズ

食品卸を営んでいたウィリアム・ヘスケス・リーバ(英語版)が、1885年にウォリントンの工場を買収し、パーム油を原料とした石鹸製造を始めたのが起源とされる。リーバ・ブラザーズはイギリス領西アフリカベルギー領コンゴで原料のパーム油を調達していたが、暫くするとドイツ帝国アメリカ合衆国が太平洋諸島への植民を推進し、1900年代初頭にはパーム油が不足する事態となった。このためリーバ・ブラザーズは原料確保のためにトラスト化を推進、同業のピアーズ石鹸(Pears)やBOCM(British Oil and Cake Mills Ltd.)のみならず、アイスクリームソーセージミートパイを製造していたウォールズ(英語版)も買収し食品製造にも進出。第一次世界大戦でドイツからの貿易がストップすると政府の要請でマーガリン製造を請負い、オランダ製のマーガリンと激しく競争することになる。
マーガリン・ユニ

1867 年にアントニウス・ヨハンネス・ユルゲンス(オランダ語版)が創業した油脂会社が淵源であり、1871 年にイポリット・メージュ=ムーリエ(フランス語版)のマーガリンの特許と権利を取得してマーガリン製造を開始した。やがて同業のサミュエル・ヴァン=デン=バーグ(オランダ語版)とカルテルを組み、1927年にはこれまた同業のシヒトとセントラをも統合してマーガリン・ユニを創立。オランダに於けるマーガリン・石鹸・硬化油の製造販売に於ける独占的な地位を築いた。これに加えてピーナツバターを製造していたカルヴェ(オランダ語版)も統合に加わった。[2]
経営統合

リーバ・ブラザーズとマーガリン・ユニは世界恐慌に直面して結局はユニリーバという大同団結を果し[注 1]、恐慌対策委員会を立ち上げてがんばるのだが、溝は埋まらなかった。慢性的に英蘭各法人の収益割合が1対2であった。そこで1937年、イギリス法人のクーパー(D'Arcy Cooper)が、オランダ法人へリーバー・ブラザーズUSなどの海外資産を売却のうえ企業再編を実現した。[2]

1939年、国際決済銀行総裁ヨハン・バイエン(Johan Beyen)がユニリーバの重役となった[3]。同年4月、ドイツ・ユニリーバの社長としてBIS・ライヒスバンク勤務暦のあるカール・ブレッシング(Karl Blessing)が招かれている[4]。実際、ユニリーバはドイツに多くの大工場をもちナチス・ドイツの経済に対応していた。

1941年7月、クーパーは準男爵(Cooper Baronetcy of Singleton in the County of Sussex)となった。
技術の渉猟と経営の拡大


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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