ユニオン駅_(ワシントンD.C.)
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ユニオン駅
Union Station
ワシントン・ユニオン駅全景

所在地50 ワシントンD.C.北東、マサチューセッツ・アベニュー50番.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度53分50秒 西経77度00分23秒 / 北緯38.89731度 西経77.00626度 / 38.89731; -77.00626座標: 北緯38度53分50秒 西経77度00分23秒 / 北緯38.89731度 西経77.00626度 / 38.89731; -77.00626
所属事業者アムトラック
所属路線

アムトラック

アセラ・エクスプレス

キャピトル・リミテッド

カーディナル

カロリニアン

クレセント

ノースイースト・リージョナル

パルメット

シルバー・メティオ

シルバー・スター

バーモンター

MARC

ブランズウィック線

カムデン線

ペン線

VRE

フレデリックスバーグ線

マナサス線

ホーム18
開業年月日1908年
乗換ワシントンメトロ・レッド・ライン、メトロバス、DCサーキュレーター、メトロバス、ラウドン郡通勤バス、オムニライド、PRTCバス
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ワシントン・ユニオン駅の中央ファサード

ユニオン駅(: Union Station)は、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.の玄関口となっている鉄道駅である。同名の駅と区別するためワシントン・ユニオン駅と呼ばれることもある。

1908年に完成した格調高い駅舎で知られる、ワシントンD.C.の名所の1つ。年間訪問者数は3,200万人に上る。アムトラックのほか、MARC(メリーランド通勤鉄道)およびVRE(バージニア急行鉄道)の両通勤鉄道サービスならびにワシントンメトロが運営するバスおよび地下鉄が乗り入れている。アムトラックの本社も駅構内にある[1]
建設前史

首都ワシントンへの鉄道の乗り入れは、ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道が、1835年にボルチモアからの支線を開業させたことに遡る。このとき、同鉄道の駅はアメリカ合衆国議会議事堂のすぐ北側に建設された。これに対抗し、ペンシルバニア鉄道もワシントンに乗り入れを計画し、ナショナル・モール(現在のスミソニアン航空宇宙博物館の近辺)に駅を建設して1872年に開業した。その後、ペンシルバニア鉄道の駅には、南部諸州からの鉄道各社の列車も乗り入れるようになった。

1890年代になると、ワシントンのボルチモア・アンド・オハイオ鉄道とペンシルバニア鉄道の両駅は、それぞれ年間100万人以上の利用者で混雑するようになったが、両駅とも手狭で施設の増強が必要となった。また、両鉄道の輸送量が増えるにつれ、線路と市内の街路との平面交差が引き起こす事故や道路の混雑が問題となった。こうした事情を背景に、両鉄道は、1901年に、両鉄道を含むワシントンに乗り入れるすべての鉄道が共同で利用する新しい駅を建設する計画があることを発表した。

ワシントンD.C.市民は以下の2つの理由でこれを歓迎した。

ペンシルバニア鉄道が、当時ナショナル・モールで占有していた10万平米余りの線路と駅の用地から退去することを意味したため。環境の整備には時間がかかったが、駅の統合移転は、このモールが今日あるような形になることを可能とした。

市内の鉄道を一つ屋根の下に集めることにより、大勢の乗降客を扱い、連邦の首都としてのワシントンにふさわしい駅がようやく実現されることになったため。

建築設計と建設アメリカ合衆国地質調査所による衛星写真

ピエール・ランファンの都市計画に基づいて開かれた2つの大通りの交差点に位置し、幅600フィート (180 m) を超えるファサードを擁する、この巨大な駅舎を設計したのは建築家ダニエル・バーナムで、ピアース・アンダーソンの助けを借りている。その外観にはさまざまな意匠が取り入れられており、たとえば、正面(主ファサード)や外観は、ローマのコンスタンティヌスの凱旋門を思わせる古典様式となっている。このように主要都市の入り口となるターミナル駅の正面を凱旋門のイメージでまとめるのは、ロンドンで1837年に建設されたユーストン駅以来の伝統である。また、内部に目を転じると、96フィート (29 m)の天井高を有する主待合室の大きな円蓋空間は、これも古典様式で、ディオクレティアヌス浴場の影響を受けている。大きなホールを屋根付きの回廊で結んだ外観は、バーナムが主任建築家を務めた1893年のシカゴ万国博覧会におけるコート・オブ・ヒーローズを思わせるものである。このほか、ボザール建築様式の碑文や寓意的彫刻もみられる。

正面中央ファサードのアーチの上を飾る、「鉄道の発展」と称される6体の巨大な彫像は、コンスタンティヌス凱旋門に施されているダキア虜囚の彫像をモデルにルイス・セントゴーデンスがデザインしたもので、アメリカ・ルネッサンス運動の精神の表れということもできる。具体的には、プロメーテウスは火、タレスは電気、テミスは自由と正義、アポローンは想像と発想、ケレースは農業、アルキメデスは機械を表している。また、セントゴーデンスは駅のメイン・ホールに26体の百人隊長の彫像も配置した。

開業当初、この駅にはさまざまな食堂以外にも床屋から死体安置所といったサービスもあった。


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