ユナボマー
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セオドア・ジョン・カジンスキー
Theodore John Kaczynski
逮捕時のカジンスキー(1996年)
生誕 (1942-05-22) 1942年5月22日
アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没 (2023-06-10) 2023年6月10日(81歳没)
アメリカ合衆国ノースカロライナ州グランビル郡バットナー 連邦医療刑務所
別名ユナボマー
出身校ハーバード大学
ミシガン大学大学院博士課程卒業
職業数学者
罪名爆弾の運搬、郵送および使用、殺人
刑罰仮釈放なしの8回分の終身刑
犯罪者現況死亡

有罪判決殺人罪
署名

高校時代のカジンスキー

セオドア・ジョン・カジンスキー(英語: Theodore John Kaczynski、1942年5月22日 - 2023年6月10日)は、アメリカ合衆国テロリスト数学者でもあり、最年少のカリフォルニア大学バークレー校助教授でもあった。アナーキズムに関する著作もある[1][2][3]

数学に関しては神童であったが[4]、1969年に大学のキャリアを捨てて、自給自足に近い原始的な生活をしていた。FBIのコードネームからユナボマーとも呼ばれる。
人物

1978年5月から1995年にかけて、全米各地で現代科学技術に関わりのある人々をターゲットにした連続爆弾事件を起こして3人を死亡させ、23人に重軽傷を負わせた。彼は革命を開始するつもりであり、工業化を批判するとともに原始的な生活の復活(アナルコ・プリミティヴィズム)を称揚して現代社会批判も行っている[5]

1971年にカジンスキーはモンタナ州リンカーン郡近郊の人里離れた小屋に移り住んだ。電気水道とは無縁の隠遁生活を始める一方で、サバイバル技術を磨き、自給自足を実現しようとした。しかし小屋の周囲にあった原野が破壊されるのを目の当たりにしたカジンスキーは、自然の中で暮らすだけではだめだという考えに至り、1978年に爆弾事件を起こし始める。1995年にはニューヨーク・タイムズに手紙を送り、もし同紙かワシントン・ポストが自分の論文『産業社会とその未来』を掲載するのであれば「テロ活動をやめる」ことを約束した。この論文のなかで、爆弾事件が極端な行動であることは認めつつ、大規模な集団化を前提とする現代科学技術に人間の自由と尊厳が蝕まれていることを知らしめるためには必要だったという主張を行った。

カジンスキーはFBIの歴史において最も捜査に予算と時間の掛かった容疑者でもある。彼の正体が明らかになるまで、FBIはこの事件を「大学・航空機爆弾犯」の頭字語であるユナボム(UNABOM、University and Airline Bomber)というコードネームで呼んでおり、次第にメディアはカジンスキーのことをユナボマーと呼ぶようになった。FBIと司法長官ジャネット・レノの後押しで『産業社会とその未来』が活字化されたことをきっかけに、弟のデイヴィッド・カジンスキーがその文体の特徴に気づいて通報を行い、カジンスキーの逮捕に至った。

1996年の逮捕以降、カジンスキーは公選弁護人の解任を求めていたが認められなかった。彼は自分のことを正気だと考えていたが、弁護士は死刑を回避するために、被告人の精神錯乱を主張していたからである。1998年には司法取引が成立し、彼がすべての罪を認めることと引き換えに、仮釈放なしの終身刑が言い渡された。
生い立ち
幼少時代

セオドア・ジョン・カジンスキーは1942年5月22日、イリノイ州シカゴポーランド系移民2世の子として生まれる。いわゆる労働者階級の家で、母はワンダ・テレサ(旧姓ドンベック)、父はセオドア・リチャード・カジンスキーといった[6]

両親が弟のデイヴィッドに語ったところによれば、テッドは幼いころひどい蕁麻疹にかかって病院の隔離室でほとんど面会謝絶になったことがあり、退院後も「感情らしいものをみせることがほとんどないときが何か月も続いた」という[7]。また、蕁麻疹の診断をする医者たちが幼いテッドを押さえつけている1枚の写真を本人に見せたときはひどく嫌悪を示した。

母によればカジンスキーはケージに入れられていたりして身動きのとれない動物にシンパシーをみせることがあり、おそらくそれは病院で隔離室に入れられていた経験から来ているものだった[8]
少年時代

1年生から4年生までカジンスキーはシカゴのシャーマン小学校に通い、教師からは「健康」「順応性あり」と評価された[9]

1952年、弟のデイヴィッドが生まれてから3年後に、家族はイリノイ州エヴァーグリーン・パーク(英語版)に引っ越し、テッドはエヴァーグリーン・パーク・スクールに転校した。彼は知能テストでIQ167を記録したため[10]、6年生は飛び級となった。カジンスキーは後にこれが大きな出来事だったと語っている。彼は同級生といるときは社交的でみんなのリーダーでさえあったのに、飛び級をしてからは年上の子と馴染めず、いじめも受けたという[11]

エヴァーグリーン・パークの近隣住民は後にカジンスキー家が「公共心のある人たち」であったと表現していて、ある人は彼の両親が「全てを犠牲にして子供たちを育てていた」とも語っている[7]。テッドもデイヴィッドも聡明な子であったが、テッドはずば抜けて優秀だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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