ユナイト映画
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ユナイテッド・アーティスツのロゴマーク

ユナイテッド・アーティスツ(英語:United Artists Entertainment LLC、略称:UA)は、かつてはアメリカ合衆国映画配給会社映画スタジオのひとつであったが、現在は映画会社「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」に属している。

日本では本来の社名の他「ユナイト映画」の名称でも知られる。
目次

1 沿革

2 主な映画

2.1 1920年代

2.2 1930年代

2.3 1940年代

2.4 1950年代

2.5 1960年代

2.6 1970年代

2.7 1980年代

2.8 1990年代

2.9 2000年代


3 音楽事業

4 日本での活動

5 オープニングロゴ

6 脚注

7 外部リンク

沿革 UA創立メンバー(左から)フェアバンクス、ピックフォード、チャップリン、D・W・グリフィス

1919年 俳優のチャールズ・チャップリンメアリー・ピックフォードダグラス・フェアバンクス、監督のD・W・グリフィスによって創立される。

彼らは、大手会社の制約に息苦しさを感じ、創造の自由を得て自らの出演作を製作・配給に至る。初期のUAは、製作者の協同組合という性格を持っていた。

チャップリン、ピックフォード、フェアバンクス、グリフィスを同社設立に導いたのは当時パラマウントの役員だった、ベンジャミン・シュルバーグだった。彼は元財務長官のウィリアム・マカドゥーを社長に据えて経営を始めるが、利益はこの5人に分けられてしまうことを悟り、彼らを利用した経営方針を取り始める。間もなくマカドゥーは去り、その後、同社の経営陣は頻繁に交代することになった。1930年代は独立系のサミュエル・ゴールドウィン、英国の大物アレクサンダー・コルダの作品を配給し、両者ともUAの主要株主だった。1940年代に入って彼らが手を引くと同社は低迷期に突入。また、他のメジャー会社と違って映画スタジオを持たなかったのがハンディになり、低迷に追い打ちをかける。


1950年 アーサー・クリム(Arthur Krim)とロバート・ベンジャミン(Robert Benjamin)が、メアリー・ピックフォードとチャーリー・チャップリンから買い取り、同社を立て直した。 1950年代にはスタジオ・システムが崩壊したために、配給網を統一して1950―1970年代は隆盛を極めた。 アーサー・クリムとロバート・ベンジャミンはその後それぞれジーン・ハーショルト友愛賞を受賞している。

1958年 アソシエイテッド・アーティスツ・プロダクション(a.a.p.)を吸収。ワーナー・ブラザースの1948年以前の作品(『カサブランカ』、『ロープ』など)や『ポパイ』などの版権を入手。

1964年 イギリスのロックバンドビートルズの初主演映画を製作。サントラもキャピタルよりも速く発売した。

1965年 ビートルズの2作目を製作。今回はドタバタミュージカル喜劇となりジョンとジョージの不評を買う。

1967年 複合企業「トランス・アメリカ」の傘下となる。ジョン・レノンの単独出演作が公開される。

1968年 ビートルズのアニメ映画を製作。ビートルズは歌とラストのみで声はものまねした声優だった。

1970年 ビートルズの3作目を製作。すでに解散していて素材はTV放送を想定した1年前のレコーディング・セッションだった。

1973年 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー作品の配給権を取得。

1978年 アーサー・クリム、ロバート・ベンジャミンらが退社してオライオン・ピクチャーズを設立。

1981年に製作した『天国の門』が大赤字になったため、経営不振によりMGMに買収され、MGM/UAとなる。

1986年 テッド・ターナーがMGMのオーナーカーク・カーコリアンからMGM/UAを買収するが、ターナーはすぐにUAの全権利とMGMの商標をカーコリアンに再売却する。その結果、ターナーはMGMとa.a.p.のライブラリーを手にし、MGMは実質的にUAの後継会社となる。

1986年以前のMGM作品(UA作品の続編を除く)はターナー・エンターテイメント/ワーナーメディア社が所有している。


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