ユナイテッド_-ミュンヘンの悲劇-
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ユナイテッド -ミュンヘンの悲劇-
United
ジャンルドラマ
脚本
クリス・チブナル
監督ジェームズ・ストロング(英語版)
出演者デイヴィッド・テナント
ジャック・オコンネル
サム・クラフリン
ダグレイ・スコット
製作
プロデューサージュリア・スタナード
制作英国放送協会

放送
音声形式英語
放送国・地域 イギリス
放送期間 2011年4月24日
2012年7月7日
放送時間90分
公式ウェブサイト
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『ユナイテッド -ミュンヘンの悲劇-』(ユナイテッド ミュンヘンのひげき、United)は、2011年イギリステレビ映画。監督はジェームズ・ストロング(英語版)、脚本はクリス・チブナル

1958年に起きたミュンヘンの悲劇と、そこから再生していくマンチェスター・ユナイテッドの「バスビー・ベイブス」と呼ばれた選手たちの実話を元にしている。その中でもコーチジミー・マーフィー(英語版)と選手ボビー・チャールトンの関係を中心に描いている。

撮影はノース・イースト・イングランドの周辺で行われ、2011年4月24日にBBC TwoとBBC HDで放送された[1]が、国外には劇場作品として配給されている[2]。日本では2012年7月7日からゴー・シネマの配給で全国順次公開。
あらすじ

クラブカラーから「赤い悪魔」として恐れられるイギリスの強豪、マンチェスター・ユナイテッド。1956年、アシスタント・コーチを務めるジミー・マーフィーは二部所属の若い選手ボビー・チャールトンに、高い結束力とユニークな指導で有名な「バズビー・ベイブス」と呼ばれる一部チームへの参加のチャンスを与える。一方、監督マット・バズビーフットボールリーグの代表アラン・ハーデイカー(英語版)に、国内リーグの全ての試合に参加するならばUEFAチャンピオンズカップへの参加を認めると説き伏せられる。

過酷な日程の中でもユナイテッドは国内リーグとチャンピオンズカップ両方の優勝を狙える位置にいた。そんなある日、1958年2月6日。国内リーグの日程は変更できないとされたため、チームはチャーター機で移動することになった。ユーゴスラビアベオグラードからの帰途、給油のためにミュンヘンに着陸。雪の中、3度離陸を試みたが、失敗。2度離陸を諦めていたことで危険を感じて後部座席に移動した人も多く、被害を拡大した。後に『ミュンヘンの悲劇』として知られる事になるこの大惨事では、乗員乗客44名のうち23名が亡くなり、マンチェスター・ユナイテッドは主力選手8名、クラブ関係者3名を失う。生存者のうち試合に参加できるのはたった4人だけだった。マンチェスターに残り、サッカーウェールズ代表監督として指導をしていたジミーは、バズビーが危篤状態のため代理監督となり、存続の危機的状況にもかかわらず次のホームでの試合にチームを参加させることを誓う。ついにはFAカップの決勝戦(英語版)にまで進む。深い悲しみから立ち直ったチームのユニフォームには、不死鳥のエンブレムが加えられることになる。
キャスト

役名俳優日本語吹替
ジミー・マーフィー
(英語版)デイヴィッド・テナント宮本充
ボビー・チャールトンジャック・オコンネル杉山紀彰
ダンカン・エドワーズサム・クラフリン岩田翼
マット・バズビーダグレイ・スコット宝亀克寿
バート・ウォーリー(英語版)ディーン・アンドリューズ(英語版)
アルマ・ジョージケイト・アシュフィールド
ハロルド・ハードマン(英語版)デイヴィッド・カルダー(英語版)
アラン・ハーデイカー(英語版)ニール・ダッジョン(英語版)
トミー・スキナーティム・ヒーリー(英語版)
シシー・チャールトンメラニー・ヒル(英語版)
エディ・コールマン(英語版)フィリップ・ヒル=ピアソン
マーク・ジョーンズ(英語版)トーマス・ハウズ(英語版)
ハリー・グレッグベン・ピール
デイヴィッド・ペグ(英語版)ブロガン・ウエスト

製作

ワールド・プロダクションズ(英語版)が製作を務め、製作費は総額200万ポンド(320万ドル)だった[2][3]。脚本の執筆にあたり、クリス・チブナルは生存者やその家族たちに取材をしている。

撮影は2010年11月から12月にかけて北イングランドで行われ、タインサイド・シネマ(英語版)、タインマウス地下鉄駅(英語版)、ニューカッスル・シヴィック・センター(英語版)と集会場で行われた[4][5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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