ユダ・マカバイ
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この項目では、旧約聖書続編の人物について説明しています。ヘンデルのオラトリオについては「ユダス・マカベウス」をご覧ください。
『プロンプトゥアリ・イコヌム・インシギオルム(英語版)』に描かれたユダ

ユダ・マカバイ(ヘブライ語: ????? ?????‎ Yehudah ha-Makabi, ? - 紀元前160年)は、旧約聖書続編の『マカバイ記』に登場する紀元前2世紀ユダヤの民族的英雄。シリアの支配下にあったユダヤの独立を達成することになるマカバイ戦争を指導し、ハスモン朝が開かれる基礎を築いた。ギリシア語名でユーダス・マッカバイオス(?ο?δα? Μακκαβα?ο?)、ラテン語名でユダス・マカベウス(Judas Maccabaeus)と呼ばれる。九偉人の一人にも数えられる。
名前

ユダ(イェフーダー)はヘブライ語で「ヤハウェに感謝する」という意味。

名前の由来には諸説あり、以下にいくつかの由来を示す。

マカバイという名は、戦いの勇猛さ、使用武器に由来してアラム語で「鉄槌」を意味する maqqaba から来ている説。士気を上げるウォークライで、出エジプト記の一節15:11「主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか( Mi kamokha ba'elim Adonai )」の頭文字に由来する説。また、ユダヤ教のラビ Moshe Schreiber は、彼の父「Mattityahu Kohen Ben Yochanan」の略語だと記述している。何人かの研究者からは、「ヤハウェに選ばれたもの」を意味するヘブライ語 maqqab-ya  ̄hu を短縮したものだという説もある[1]
黄金の剣

ユダが夢の中で見たの大祭司で姿形には威厳があり、動作はやさしくそして正しい良い人であり。上品なことばを用い、幼いときから徳の道を歩き続けてきたオニアが手をのばしてユダヤの民のために祈っていた。

それからもう一人の人物がユダの前に現われた。それは年たけた人で姿形には威厳があり、きわめて尊厳な様子をしていた。オニアはこう口を切った、「この方は兄弟を愛し、民と聖都のために大いに主にとりついでくださる。神の預言者がこの方である」と。

そのとき神の預言者は手をのばし黄金の剣をユダに渡しながら言った、「この尊い剣を取れ。これは神のたまものである。これをもって敵を破ることができる」



マカバイ戦争の開始ユダ・マカバイの勝利、ギュスターブ・ドレマカバイ統治下のユダヤ

ディアドコイの一人セレウコス1世の建てたセレウコス朝の王アンティオコス4世エピファネスエルサレムを占領するとエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害して、偶像崇拝を強要した。このため、モデインという町に住んでいた祭司マタティアと五人の息子たちが蜂起した(紀元前167年)。その息子の一人がマカバイと呼ばれたユダであった。これ以降の独立闘争をマカバイ戦争(マカバイの反乱)と呼ぶ。
エルサレム奪回とハヌカー制定

ユダ・マカバイは父が死ぬ(紀元前166年)と、反乱軍のリーダーとなって弟ヨナタンシモンと共にシリア軍と戦い、ゲリラ戦で天才的な指導力を発揮した。まず、サマリア・ユダヤの司令官アポロニオス、セロンを討ち取った。アポロニオスから奪った剣を生涯、戦場に携えた。アンティオコス4世エピファネスがリュシアスにユダヤ制圧を命じると、ドルメネスの子プトレマイオス、ニカノル、ゴルギアス率いる4万7千人のシリア軍が侵攻してきた。ユダはミツパで神に祈りを捧げ、エマオでシリアの大軍と激突した。ユダは出エジプトの時の紅海の奇跡を引き合いに出して兵士を鼓舞し、シリア軍を撃破して戦利品を獲得した。

リュシアスは自ら6万5千人の兵を率いて出撃したが、ベテズルで大敗を喫し、ユダと一時的に休戦した。シリア側は宗教的な自由の回復を認めた。ユダはついにエルサレムを奪還し、異邦人に汚されたエルサレム神殿の聖所を清め、再びヤハウェに献納して中断していた神殿でのユダヤ教の礼拝を復活させた。


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