ユダヤ系アメリカ人
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ユダヤ系アメリカ人
Jewish Americans, American Jews



メル・ブルックス / ノーマン・メイラー / ベン・バーナンキ
バーブラ・ストライサンド / アイザック・アシモフ / アルバート・アインシュタイン
ルイス・ブランダイス / サーシャ・コーエン / グウィネス・パルトロウ
ハンク・グリーンバーグ/ラーム・エマニュエル/スティーヴン・スピルバーグ
マーク・ザッカーバーグ/スタン・リー/アダム・サンドラー
(5,128,000人 - 6,444,000人
合衆国全人口の1.7% - 2.2%)
居住地域
北東メガロポリス地帯
ニューヨーク都市圏ボストン都市圏
南フロリダワシントンDC
西海岸ロサンゼルスサンフランシスコ
言語
英語ヘブライ語
イディッシュ語ラディーノ語
宗教
ユダヤ教
改革派/保守派/正統派/再建派/その他
関連する民族
アシュケナージセファルディムミズラヒム

ユダヤ系アメリカ人(ユダヤけいアメリカじん、英語: Jewish Americans、American Jews)は、ユダヤ人のアイデンティティを持つアメリカ合衆国の国民(ユダヤ人の定義についてはユダヤ人を参照)で、その大半は中欧東欧から移民してきたアシュケナジムとその子孫である。セファルディムミズラヒムなどユダヤのマイノリティ民族も少なからず存在する。多くのユダヤ人コミュニティはその独自性を今尚保持しており、その宗教のみならず他のヨーロッパ系とは異なる文化を形成している。

2007年時点で、アメリカ合衆国はイスラエルに次ぐ(統計によっては最大の)ユダヤ人居住国家であり、約512万8千人を数える。アメリカ全人口の約1.7%を占める(統計によっては644万4000人というデータも存在し、この場合の人口比は2.2%になる)。ちなみに2007年のユダヤの本拠地イスラエルにおけるユダヤ人人口は543万5800人、で全イスラエル人口の75.7%を占めている。
歴史
アメリカ東部ニューヨークのシナゴーグ

アメリカ合衆国におけるユダヤ人の歴史は17世紀初頭より続いており、この時代のユダヤ人はスペインポルトガルから移民してきたセファルディムが多かった。およそ1830年まではサウスカロライナ州チャールストンに集中していた。ユダヤ人の大量移民は19世紀まではほとんどなく、19世紀中盤になりアシュケナージドイツより移民を開始しアメリカで商人小売業に従事した。1880年には約25万人のユダヤ人がアメリカにいたと推測され、ドイツ系は教養があり世俗的(信仰心の薄い)なユダヤ人であった。新ユダヤ人移民が増大したが古参者のセファルディムも依然として影響力を持ち続けた。

東欧におけるユダヤ人迫害の風潮が高まった1880年代になるとアメリカへの移民は劇的に増え、彼らのほとんどはロシア帝国や現在のポーランドリトアニアベラルーシモルドバなどの地域に住んでいた貧しい田舎出身のイディッシュ語を使うアシュケナージだった。19世紀後半から200万人超のユダヤ人が移民し、1924年排日移民法などで移民規制が厳しくなるまで続いた。多くはニューヨーク市とその都市圏に居を構え現在に至る最大のユダヤ人コミュニティが形成された。

20世紀初頭に新たに移民してきたユダヤ人は小さなシナゴーグなどをサポートするためのネットワークを構築。またユダヤ人作家の活動によりアメリカでの生活に溶け込むことができた。第二次世界大戦では50万人(18歳から50歳までのユダヤ人男性の約半数)が徴兵された。戦争後はアメリカの新しいトレンドとなった郊外移住に便乗した結果、ユダヤ人同士が結婚し家庭を持つ比率も高まりユダヤの信仰心も回復した。ユダヤ系の学校の入学者は戦後から1950年代半ばまでに倍になりシナゴーグへの通う人も1930年代の20%から1960年には60%にまで上昇した。近年ではキューバベネズエライラン、北部アフリカ旧ソ連など様々な国からユダヤ人が移民してきており、彼らもアメリカのユダヤ人コミュニティに溶け込み生活をしている。
アメリカ中西部サンタ・フェ大聖堂のキーストーン

ヨーロッパからメキシコに多くのセファルディムが迫害を逃れて移住していたが、メキシコでも異端審問の嵐が吹き荒れ、多くのユダヤ系が中西部に北上した。また西部開拓として東海岸からいくつものトレイルを西へと向かい、アシュケナディム系商人たちが多く交易所 (trading post) の繁栄を担った。1846年にサンタフェで交易所をひらいたシュピーゲルバーグ兄弟 (Spiegelberg Brothers) は、財閥となり地域に貢献した。このようにして西部開拓時代から今日に至るまで、例えばニューメキシコ州のサンタフェ[1]タオス[2] は、東西と南北が交差するユダヤ系コミュニティーの安住の地ともなった[3]。サンタフェ大聖堂 (聖フランシス大聖堂) のキーストーンにヘブライ語が刻まれているのは貢献した地元ユダヤ商人達への感謝のしるしと言われている。

中西部にはカトリックなどに改宗してはいるがユダヤ的な伝統をまもってきたクリプトユダヤ[1] (crypt Jews) とよばれるコミュニティーが一定数あり、カトリックとユダヤ教が融合したシンクレティズム的な伝統、あるいはカトリックだがなぜか代々ブタ肉は食べなかった等、ユダヤ系ヒスパニックが多く存在しているが[4][5][6]、より正確な民族誌学的研究が必要という批判もあり[7][8]、論争となっている[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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