『ユダヤ人と彼らの嘘について』
(ユダヤじんとかれらのうそについて)
Von den Juden und jren Lugen
『ユダヤ人と彼らの嘘について』(1543年版)の表紙
著者マルチン・ルター
訳者歴史修正研究所
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『ユダヤ人と彼らの嘘について』(ユダヤじんとかれらのうそについて、ドイツ語: Von den Juden und jren Lugen、現代ドイツ語ではVon den Juden und ihren Lugen)は、ドイツの宗教改革家・マルティン・ルターが1543年に上梓した反セム主義の論文。同論文の中でルターは、ユダヤ人を「下劣な偶像崇拝者、つまり神の子ではなく己が家系や割礼を誇りにし、法を汚らわしい物と見なしている連中」と言い切り[1]、シナゴーグに至っては「救い難い邪悪な売春婦」とまで形容している[2]。本論文の最初の十節では、ユダヤ人並びにユダヤ教に係る自らの見解や、クリスチャン及びキリスト教との比較について、かなりの分量を割いており、それ以後はクリスチャンに対し、以下の7項目を実践するよう説いている[3]。
シナゴーグやイェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし
更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし
宗教書を取り上げるべし
ラビの伝道を禁じ、従わないようであれば処刑すべし
ユダヤ人を撲滅するための方途を穏便に実行すべし
高利貸しを禁じ、金銀を悉く没収し、保管すべし
ユダヤ人を農奴として働かせるべし
第二次世界大戦以降、学問の分野で支配的となった見解[4]は、本論文が宗教改革からホロコーストまでの数世紀において、ユダヤ人に対するドイツ人の態度に少なからぬ影響を与えた、というものであった。しかし、この見解に対して神学者のヨハネス・ヴォルマンは、ドイツ国内では影響力を持ち得ず、現に18世紀から19世紀までの間、見向きもされなかったと指摘[5]。また、ハンス・ヒレルブラントも、国内の反セム主義の展開におけるルターの役割に焦点を当てれば、却って「ドイツ史というより大きな特色」を過小評価することになるとしている[6]。
なお1980年代以降、ルター派教会の中には、ユダヤ人差別を煽動するルターの書物を、公式に非難するものも存在している。とりわけ水晶の夜事件から60年が経過した1998年11月、バイエルン州のルター派教会が「マルティン・ルターの作品や伝統の恩恵とともに、彼の反ユダヤ的な発言を深く受け止め、神学上に果たした役割を認識し、それらがどのような結果を齎したか、ということを知ることは、ルター派教会にとって避けて通れない問題である。