ユタ
基本情報
建造所ニュージャージー州カムデン、ニューヨーク造船所
運用者 アメリカ海軍
級名フロリダ級戦艦
艦歴
起工1909年3月9日
進水1909年12月23日
就役1911年8月31日
退役1944年9月5日
最期1941年12月7日、真珠湾攻撃にて沈没
除籍1944年11月13日
現況「USS ユタ残骸」として展示
要目
基準排水量22,175 トン
満載排水量24,403 トン
全長521フィート6インチ (159.0 m)
水線長510フィート (155.4 m)
最大幅88フィート3インチ (26.9 m)
吃水28フィート6インチ (8.7 m)
主缶B&W製 水管ボイラー
主機パーソンズ式蒸気タービン
出力28,000馬力 (21,000 kW)
推進器スクリュープロペラ×4軸
最大速力21ノット (39 km/h)
燃料石炭:2,560 t(最大)
重油:406 t
乗員1,001 名
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12インチ連装砲
ユタ (USS Utah, BB-31/AG-16) はアメリカ海軍の戦艦。フロリダ級戦艦の2番艦。艦名はユタ州にちなむ。
のちに標的艦に改装され、太平洋戦争緒戦の真珠湾攻撃で日本海軍の南雲機動部隊(空母「蒼龍」)[1]から飛来した九七式艦上攻撃機の雷撃により撃沈された[2]。その残骸は、現在も真珠湾で保存されている[3]。 「ユタ」は1909年3月9日にニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工し、1909年12月23日にメアリー・アリス・スプライ(ユタ州知事ウィリアム・スプライの娘)によって命名・進水。1911年8月31日に初代艦長ウィリアム・シェパード・ベンソン大佐の指揮下、フィラデルフィア海軍造船所で就役した。 「ユタ」は就役後の整調巡航でハンプトン・ローズ、サンタ・ローザ島
艦歴
「ユタ」はニューヨークを6月1日に出航してハンプトン・ローズに短期間停泊した後、メリーランド州アナポリスに向かい、6月6日に到着した。同地で海軍兵学校生を乗艦させ、6月10日にバージニア岬(英語版)から大西洋に向けて出航した。