ヤーコブ・ヨルダーンス
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ヤーコブ・ヨルダーンス
Jacob Jordaens
自画像
両親、兄弟、姉妹とともに描かれた家族肖像画の自画像部分の拡大画像(1615年頃)
エルミタージュ美術館サンクトペテルブルク
誕生日1593年5月19日
出生地アントウェルペン
死没年1678年10月18日(1678-10-18)(85歳)
死没地アントウェルペン
国籍フランドル
運動・動向フランドルバロック
芸術分野絵画
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ヤーコブ・ヨルダーンス(: Jacob Jordaens、1593年5月19日 - 1678年10月18日[1])は、フランドルバロック期の画家。

ピーテル・パウル・ルーベンスアンソニー・ヴァン・ダイク同様、アントウェルペン派を代表する画家である。同時代の他の画家たちとは違ってイタリア絵画を学ぶため外国へ行くことはなく、画家としてのキャリアを通じてイタリア人画家たちの人間性や優雅さへの追求には無関心だった[2]。ヨルダーンスは低地諸国への短期旅行をした以外は、人生の大半をアントウェルペンで過ごした[2]

ヨルダーンスは画家アダム・ファン・ノールトに8年間師事し、後に芸術家ギルドの聖ルカ組合の一員となった。画家として揺るぎない地位を築くと、タペストリのデザインも行っている[3]。ルーベンスと同様に、祭壇画、神話画、寓話画を描き、1640年のルーベンスの死後、アントウェルペン最重要の画家となった彼のもとへ肖像画や大作の依頼が相次いだ[4]。しかしながら、今日彼が最もよく知られるのは、同時代の芸術家ヤン・ブリューゲル (父)と同様の手法でことわざや格言をもとにして描いた『酒を飲む王様』、『大人が歌えば子供が笛吹く』といった風俗的主題の作品によってである[5]。ヨルダーンスの作品にはルーベンス、ブリューゲル一族以外にヤコポ・バッサーノパオロ・ヴェロネーゼカラヴァッジョら北イタリアの画家の影響が見られる[2]
生涯『エウロペの略奪』(1615年 - 1616年)
絵画館(ベルリン)

ヤーコブ・ヨルダーンスは1593年5月19日に、11人兄弟の長男としてアントウェルペンに生まれた。父親は裕福な麻織物商人で同名のヤーコブ・ヨルダーンスで、母親はバルバラ・ファン・ウォルシャテンである[6]。ヨルダーンスが幼少期にどのような教育を受けたのかははっきりしておらず、両親の社会的地位にふさわしい十分な教育を受けることができたのではないかと考えられているに過ぎない。ただしこのことはヨルダーンスの美しい筆跡、フランス語能力、そしてギリシア・ローマ神話に対する知識からある程度裏付けることができる。ヨルダーンスがキリスト教に精通していたことは自身が描いた多くの宗教画から明らかであり、後にカトリックからプロテスタントへと改宗したことから聖書への造詣も深かったと考えられる[7]。ルーベンスと同じくアントウェルペンの画家アダム・ファン・ノールトのもとで修行し、ヨルダーンスにとってファン・ノールトが最初で最後の師となった。修行時代のヨルダーンスはファン・ノールトの家に下宿しており、その家族とも非常に親密な関係を築いている[8]。8年間をファン・ノールトの徒弟として過ごし、その後芸術家ギルド聖ルカ組合には「水彩画家」として登録された[7]。17世紀当時には水彩画材はタペストリーの下準備や油彩画の下絵など補助的な役割に使用されることが多かったもので[9]、初期のヨルダーンスの水彩画は一切現存していない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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