ヤンネ・アホネン
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ヤンネ・アホネン


基本情報
フルネームJanne Petteri Ahonen
愛称Flying Eagle, King Eagle, The Mask
誕生日 (1977-05-11) 1977年5月11日(47歳)
出身地 フィンランド
ラハティ
身長184cm
選手情報
クラブLahden Hiihtoseura
使用メーカーAtomic
最高記録233.5m
ワールドカップ
シーズン1992年-
優勝回数36回
他の表彰台72回
表彰台獲得数108回

獲得メダル

男子 スキージャンプ
オリンピック
2002 ソルトレイクシティラージヒル団体
2006 トリノラージヒル団体
ノルディックスキー世界選手権
1995 サンダーベイラージヒル団体
1997 トロンハイムラージヒル団体
1997 トロンハイムノーマルヒル個人
2003 バルディフィエンメラージヒル団体
2005 オーベルストドルフラージヒル個人
2001 ラハティラージヒル団体
2001 ラハティノーマルヒル団体
2005 オーベルストドルフラージヒル団体
2001 ラハティラージヒル個人
2005 オーベルストドルフノーマルヒル個人
スキーフライング世界選手権
銀1996 クルム個人
銀2004 プラニツァ個人
銀2004 プラニツァ団体
銀2006 クルム団体
銀2008 オーベルストドルフ団体
銅2000 ヴィケルスン個人
銅2008 オーベルストドルフ個人


最終更新日:2009年3月25日
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ヤンネ・アホネン(Janne Petteri Ahonen、1977年5月11日 - )は、フィンランドスキージャンプ選手。フライングイーグルのニックネームを持つ。
経歴

早くからその才能を見込まれ、1994年リレハンメルオリンピック代表に16歳の若さで選ばれる。また、1993年と1994年のジュニア世界選手権で個人・団体2年連続2冠を成し遂げた。

ワールドカップでは史上第4位の通算36勝(2位44回、3位28回)、男子では表彰台合計108回は史上最多。2003/04シーズンと2004/05シーズンの2年連続総合優勝。ほかに総合2位が2回総合3位が4回ある。

2004/2005シーズンは史上最多(当時)のシーズン12勝と最多タイの6連勝を記録。

2005年にはプラニツァのフライングで240mの史上最長飛距離を記録(転倒したため非公認)。

世界選手権では1997年のノーマルヒルと2005年のラージヒルでともに優勝。通算で10個のメダルを獲得した。

伝統あるスキージャンプ週間では史上最多、5度の総合優勝を成し遂げている(1998/1999、2002/2003、2004/2005、2005/2006、2007/2008)。

オリンピックではその実力を発揮できず、1998年長野オリンピックではノーマルヒル4位、ラージヒル37位、団体5位、2002年ソルトレークシティオリンピックではノーマルヒル4位、ラージヒル9位、団体銀メダル、2006年トリノオリンピックではノーマルヒル6位、ラージヒル9位、団体銀メダルに終わり、オリンピックの個人種目のメダルはない。

2008年3月26日に一旦現役引退を表明した[1]。4月にはFISからも引退が発表された[2]

同年7月9日には地元ラハティのノーマルヒルで引退試合が行われ、各国からともに競ったライバルたちが集い、偉大な選手の現役引退に花を添えた。3ヶ月間ジャンプのトレーニングをしていなかったが、2本とも最長不倒を記録して優勝した[3][4]

2009年3月9日にバンクーバーオリンピックに向けて現役復帰を表明[5]、年末のジャンプ週間では2位が2回、3位が1回と3度表彰台に登り、復活を印象付けるなか、悲願の金メダルを狙った2010年バンクーバーオリンピックはノーマルヒルでは五輪3度目の4位、ラージヒルは1回目16位のあと2回目を膝のけが悪化のため棄権し31位、団体戦は欠場と不本意な成績に終わった。

その後もフィンランド代表として活動を続けたが、2010/2011シーズンをもって再び現役を引退した。

2013年1月10日、ソチオリンピックで悲願の個人メダルを獲得することを目指し、再び現役復帰を表明した。その後、ソチ五輪や2018年の平昌五輪にも出場。フィンランドでは夏冬通じて最多の7回目の五輪出場[6]となった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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