ヤングスタウン_(オハイオ州)
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ヤングスタウン市
City of Youngstown

ヤングスタウンのダウンタウン


市章

位置

右: オハイオ州におけるマホニング郡の位置
左: マホニング郡におけるヤングスタウンの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度5分47秒 西経80度38分57秒 / 北緯41.09639度 西経80.64917度 / 41.09639; -80.64917
歴史
創設1796年
行政
アメリカ合衆国
 州オハイオ州
 郡マホニング郡トランブル郡
 市ヤングスタウン市
地理
面積 
  市域88.7 km2 (34.2 mi2)
    陸上  87.8 km2 (33.9 mi2)
    水面  0.9 km2 (0.3 mi2)
標高259 m (850 ft)
人口
人口(2020年現在)
  市域60,068人
    人口密度  684.1人/km2(1,771.9人/mi2)
  都市圏541,243人
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.cityofyoungstownoh.org

ヤングスタウン(Youngstown)は、アメリカ合衆国オハイオ州北東部に位置する都市。同州マホニング郡郡庁所在地で、マホニング・バレーと呼ばれる地域の中心都市である。市はクリーブランドピッツバーグの中間点に位置し、そのいずれからも100kmほどの距離である。市の中心部にはオハイオ川の支流の1つであるマホニング川が流れている。

市名は市の創設者であるニューヨーク州出身の開拓者、ジョン・ヤングにちなんでつけられた[1]20世紀前半には、ヤングスタウンはクリーブランドやピッツバーグと同様に、鉄鋼生産の中心地として栄えた。しかし、1970年代に鉄鋼業が衰退に向かうと、他に主となる産業の無かったヤングスタウンの地域経済は大きな打撃を受け、市は衰退の一途をたどるようになった[2]。また、治安の悪化や貧困といった問題も抱えるようになってきており、都市圏単位での人口停滞も顕著である。そうした中、市政府は市の再生を図るべく、市民やヤングスタウン州立大学と協同で、「ヤングスタウン2010」という都市再生計画を打ち出した[3]。更に、2012年には国家主導による、3D印刷による新世代ソフトウェア開発拠点に抜擢されたことで、全米から大きく注目を浴びており、変革期を迎えようとしている。しかし人口減少は止まらず、2020年の国勢調査では人口60,068人[4]と全盛期の約1/3、2010年時点と比べても10.3%減少している。

マホニング郡を中心に、北隣のトランブル郡、および北東隣のペンシルベニア州マーサー郡の3郡にまたがるヤングスタウン・ウォーレン・ボードマン都市圏は541,243人、この都市圏に南隣のコロンビアナ郡を加えたヤングスタウン・ウォーレン広域都市圏は643,120人(いずれも2020年国勢調査)[5]の人口を抱えている。統計的には、ヤングスタウンの都市圏・広域都市圏はクリーブランドやピッツバーグの都市圏とは別個に設定されており、広域都市圏にも接してはいるものの含まれてはいないが、文化的・商業的観点からは、ヤングスタウンはクリーブランド圏やピッツバーグ圏に含めて考えられることがしばしばある[6]
歴史
初期

1796年ニューヨーク州ユーティカ近郊、ホワイツタウン出身の開拓者ジョン・ヤングはこの地を測量し、その後間もなく入植地を創設した[7]。翌1797年2月9日には、ヤングは西部保留地会社から約63km2のタウンシップを16,085ドル(当時)で購入した[8]。ヤングは購入したタウンシップ内を流れているミル・クリークに、この地域で最初の製材所と製粉所を建設した[1]1802年8月19日には、ヤングスタウンは1797年創設であると公式に記録された[9]

今日のヤングスタウンがある地は、コネチカット州からの入植者のために確保されていたコネチカット西部保留地の一部であった[10]。コネチカット西部保留地の首都はクリーブランドに置かれていた[11]。この地域への初期の入植者の多くはコネチカット州からの移入者であったが、ヤングスタウンには東隣のペンシルベニア州からも少なくない数のスコットランド系・アイルランド系の移民が移入してきた[12]。この地域への最初のヨーロッパ系定住移民はピッツバーグ出身のジェームズ・ヒルマンとその妻キャサリン・ダファーティであった[13]1798年頃には、ヤングスタウン地域内のミル・クリークとマホニング川の合流点近くに数家族が集まって住んでいた[10]デイヴィッド・トッド

西部保留地の人口が増えるにつれて、行政区分の必要性が明らかになっていった。1800年、西部保留地の知事アーサー・セントクレアは、初代コネチカット州知事ジョナサン・トランブルの名を冠したトランブル郡を創設し、その郡庁をウォーレンに置いた[14]1813年には、トランブル郡がタウンシップに分割され、そのうちの1つとして後にマホニング郡の一部となるヤングスタウン・タウンシップが創設された[15]。ヤングスタウンは1848年に正式な村となり、1867年には市に昇格した。1876年には、マホニング郡の郡庁が近郊のカンフィールドからヤングスタウンに移された[16]

1800年代前半にこの地域で発見された石炭資源は、後にオハイオ・アンド・エリー運河に通ずる交通路の確立へとつながった。1835年にはペンシルベニア・アンド・オハイオ運河会社が創設され、1840年にはペンシルベニア州ニューカッスルからマホニング・バレーを通り、アクロンでオハイオ・アンド・エリー運河に合流するペンシルベニア・アンド・オハイオ運河が完成した[17]。後の南北戦争時にオハイオ州知事に就任した地元実業家デイヴィッド・トッドは、エリー湖を通る蒸気船の船主に対し、「もしもクリーブランドとヤングスタウンを結ぶ運河があれば、船の燃料となるマホニング・バレー産の石炭を補給できる」と説得した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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