ヤングコミック
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ヤングコミック
ジャンル青年漫画
読者対象男性
刊行頻度月刊(毎月10日発売)
発売国 日本
言語日本語
出版社少年画報社
刊行期間刊行中
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『ヤングコミック』は、少年画報社が発行する日本月刊漫画雑誌

現行の『ヤングコミック』は1990年8月に創刊された。毎月10日発売。略称はYC。
概要

同社刊の『ヤングコミック』には、1967年から1984年にかけて発行された劇画雑誌と[1][2]1990年から現在まで発行されている成人向け漫画雑誌(非指定)との[1]、ふたつの雑誌が存在する。本項ではこの両者を便宜上同一線上の雑誌として解説する。

最初に創刊された『ヤングコミック』は、劇画が誌面の大半を占め、小学館の『ビッグコミック』や秋田書店の『プレイコミック』などと並ぶ硬派な青年漫画雑誌であったが、部数が低迷し一時休刊。その後1990年に同じ誌名で成年向け漫画雑誌として新創刊したため、厳密に言えば現行の『ヤングコミック』は創刊時との連続性はない。また、その影響から雑誌の通巻も途中でリセットされている[2]。新人漫画家としては、かわぐちかいじ松森正末永史谷口ジロー神江里見ほんまりう勝川克志らを送り出している。

2013年4月10日発売の5月号をもって掲載作品のほとんどが連載を終了し[3]、翌5月10日発売の6月号より「童貞」をメインテーマとした『ヤングコミックチェリー』として新装刊された[4][5]。その後8月10日発売の9月号から誌名ロゴの「チェリー」の文字がごく小さくなる変化(6月号-8月号[4][6][7]と9月号-12月号[8][9][10][11]でデザインが違う)を経て、12月10日発売の2014年1月号にて誌名から「チェリー」が外され『ヤングコミック』に戻り[12][13]、ロゴも新デザインに変更[12]。誌名変更は7ヶ月のみの短期間に終わった。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

単行本レーベル

1990年頃の最初期にはヒットコミックスより刊行され、後にヤングキングコミックスより刊行されていた。2003年頃より専用レーベルの「ヤングコミック コミックス(YCコミックス)」より刊行されていたが、『ヤングコミックチェリー』へリニューアル直後の2013年6月を最後に刊行を停止している。なお、『5時から本番!』[14]・『誘う妹』[15]・『ナカ良くシテね』[16]が、現時点までの同レーベルの最新刊である。

2014年以降は、同社の青年雑誌『ヤングキング』系列の総合レーベル「ヤングキングコミックス(YKコミックス)」より刊行されており、2013年12月9日発売の『あまあま*パフュメ』が“『ヤングコミック』掲載「ヤングキングコミックス」レーベル刊行”の初回作品となる[17]。ただし『ヤングコミック』掲載作品でも、『ヤングキング』より移籍の『パピィラバーズ』、『月刊ヤングキング』より移籍の『ハッピーネガティブマリッジ』などは、継続して「ヤングキングコミックス」より刊行されているためこの限りにない。

このほかに、廉価版レーベルとして「ヤングコミック コミックス ベスト(YCベスト)」がある。同レーベルについてもYCコミックス同様に刊行を停止している。なお、現時点までの同レーベルの最新刊は、2013年8月に刊行された『新Oh!透明人間』上下巻となっている(同作は日本ジャーナル出版週刊実話』掲載作であり、実写化作品『Oh!透明人間 インビジブルガール登場!?』連動企画として刊行された)。「コンビニコミック#少年画報社」も参照

この節の加筆が望まれています。 (2015年4月)

歴史

1967年 - 8月に月刊誌『ヤングコミック』として創刊
[1]。創刊編集長は橘賢。創刊号の表紙は「あっかんべーをしている女性」だった。当初は成人向けではなく青年向けの漫画雑誌として創刊されたが、売れ行き不振のため創刊9ヶ月目に桑村誠二郎が新編集長となって以降、大きく部数を伸ばした[18]

1968年 - 2月に月2回刊に変更[1]小池一夫神田たけ志による『御用牙』の連載が始まった頃から大きく売り上げが伸び始め、1971年の新年号では、発行部数が創刊以来初の20万部に達した[18]

1975年 - 編集長が桑村誠二郎から多田三郎に交代する[18]

1982年 - 2月10日号で休刊が発表される。同年4月、大塚章を編集長に迎え部数15万部で新創刊。その後、刊行ペースが隔週刊→月2回刊→月刊→隔週刊と変更され、編集長が大塚章→多田三郎(元編集長)→大塚章と変更されるなど、目まぐるしく改変を続けるも売り上げは伸びなかった[18]


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