Jaroslav Heyrovsky
ヤロスラフ・ヘイロフスキー
生誕 (1890-12-20) 1890年12月20日
オーストリア=ハンガリー帝国 プラハ
死没1967年3月27日(1967-03-27)(76歳)
チェコスロバキア プラハ
国籍 チェコスロバキア
出身校プラハ・カレル大学
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
主な業績ポーラログラフィー
主な受賞歴ノーベル化学賞(1959)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者
受賞年:1959年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:ポーラログラフィーの理論および発見
ヤロスラフ・ヘイロフスキー(Jaroslav Heyrovsky, 1890年12月20日-1967年3月27日)はチェコプラハ出身の分析化学者。ポーラログラフィーの原理を発見したことで知られ、その功績で1959年のノーベル化学賞を受賞した。 プラハ大学のローマ法の教授、レオポルド・ヘイロフスキーの子として生を受ける。初等教育をプラハで受けた後の1910年から1914年までロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに留学し、ウィリアム・ラムゼーの下で研鑽を積んだ。その後はプラハに戻り、カレル大学で研究を始めた。また、フレデリック・ドンナン
生涯
カレル大学では滴下水銀電極の研究を行った。1922年に准教授となる。1925年に志方益三と共に滴下水銀電極を用いた電流-電位曲線を自動で記録する装置を完成させた。これがポーラログラフで、電解反応を分析する有力な分析手法である。1926年に教授に昇格する。その後もポーラログラフィーの発展と啓蒙に務めた。1950年ポーラログラフ研究所の所長に任命され、1952年には科学アカデミーの会員となった。
その後も1955年にドレスデン工科大学(ドレスデン)、1960年にパリ大学から名誉博士号を贈られるなど、数多くの名誉に浴した。プラハで没。
1982年に発見され、ヘイロフスキーに因んで名づけらえた小惑星がある。
出典
Jaroslav Heyrovsky - Biographical
表
話
編
歴
ノーベル化学賞受賞者 (1951年-1975年)
エドウィン・マクミラン / グレン・シーボーグ (1951)
アーチャー・マーティン / リチャード・シング (1952)
ヘルマン・シュタウディンガー (1953)
ライナス・ポーリング (1954)
ヴィンセント・デュ・ヴィニョー (1955)
シリル・ヒンシェルウッド / ニコライ・セミョーノフ (1956)
アレクサンダー・トッド (1957)
フレデリック・サンガー (1958)
ヤロスラフ・ヘイロフスキー (1959)
ウィラード・リビー (1960)
メルヴィン・カルヴィン (1961)
マックス・ペルーツ / ジョン・ケンドリュー (1962)
カール・ツィーグラー / ジュリオ・ナッタ (1963)
ドロシー・ホジキン (1964)
ロバート・バーンズ・ウッドワード (1965)
ロバート・マリケン (1966)
マンフレート・アイゲン / ロナルド・ノーリッシュ / ジョージ・ポーター (1967)
ラルス・オンサーガー (1968)
デレック・バートン / オッド・ハッセル (1969)
ルイ・ルロワール (1970)
ゲルハルト・ヘルツベルク (1971)
クリスチャン・アンフィンセン / スタンフォード・ムーア / ウィリアム・スタイン (1972)
エルンスト・フィッシャー / ジェフリー・ウィルキンソン (1973)
ポール・フローリー (1974)
ジョン・コーンフォース / ウラジミール・プレローグ (1975)
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