ヤルン
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ヤルン(ウクライナ語 / ロシア語: Ярун、生没年不明)は、13世紀前半の、ガーリチ公国の都市・プシェムィスリトィシャツキー(千人長)である。

1215年ハンガリー王国の王子・カールマーンと、ポーランド王国クラクフ公レシェクの連合軍がガーリチ公国に侵入した際の史料に、ヤルンに関する言及がある。また1216年にはトロペツ公国の都市の1つであるルジェフを、ウラジーミル大公国のスヴャトスラフ(ru)の攻撃から防衛することに成功、次いで(リピツァの戦い(ru)以前)同国のヤロスラフの率いる連隊を撃退した。1223年にはヴォエヴォダ(軍司令官)としてポロヴェツ族コチャン・バスチーの軍を指揮し、カルカ河畔の戦いに参加した[1]
出典^Русская История

参考文献

Н.И. Костомаров. Русская история в жизнеописаниях ее главнейших деятелей. ? М. 1873-1888., Первый отдел: Господство дома Св. Владимира. Выпуск первый: X-XIV столетия. Глава 6. Князь Мстислав Удалой.


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