ヤマニ洋行
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ヤマニ洋行種類不詳
市場情報消滅
本社所在地 日本
東京市京橋区三十間堀2丁目1番地
(現在の東京都中央区銀座2丁目8番地近辺)
設立1920年代
業種商社
事業内容外国映画の輸入および配給
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ヤマニ洋行(ヤマニようこう、1920年代 設立 - 1933年 活動停止)は、かつて存在した日本の映画配給会社である。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の日本支社のない時代に同社作品を日本に紹介し、のちに『裁かるゝジャンヌ』や『カメラを持った男』といったヨーロッパ映画を戦前の日本に紹介した映画会社として知られる。
略歴・概要

遅くとも1920年代には設立されている。1926年(大正15年)には、東京市京橋区三十間堀2丁目1番地(現在の東京都中央区銀座2丁目8番地近辺)に所在した[1]。1924年(大正13年)に合併・設立されたアメリカのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の輸入代理店を務め、同社の作品の日本への輸入配給業務を行なった[2]。『映画年鑑 大正十五年版』(1926年)に広告を打ち、同年、MGMの『奇蹟の薔薇』、『キートンの栃面棒』(『セブン・チヤンス』)、『グリード』を公開することを謳う[1]。同年12月22日には、朝鮮キネマ製作、羅雲奎監督・主演作 『アリラン』を公開すべく、配給元として検閲を受けた記録がある[3]

1928年(昭和3年)6月15日、『踊る英雄』を公開したのを最後にMGM作品から離れ[4]、MGMは同年9月、日本支社を設けている[5]。同年、ポヴァティ・ロウの1社ティファニー・ピクチャーズ(ティファニー・スタール・プロダクションズ)製作の『ワイルド・ギーズ』といった作品の日本への紹介を手がける[6]。その後はマルセル・レルビエ監督の『バラライカ』等、フランス映画の輸入配給を行ない、1929年(昭和4年)には、カール・テオドア・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』を公開している[7]

1930年(昭和5年)、ドノゲー商会と配給提携し、ワーナー・ブラザースのサイレント作品の輸入を手がける。

1932年(昭和7年)には、ジガ・ヴェルトフ監督の『カメラを持った男』を『これがロシヤだ』のタイトルで公開する等、3作のソビエト映画を日本に紹介している。1933年(昭和8年)8月24日、ドキュメンタリー映画『海底』を公開した以降の配給作品記録は見当たらない[8][9]
おもなフィルモグラフィ

日本での公開順である。特記以外はキネマ旬報映画データベース[9]の記述による。
1920年代

殴られる彼奴』 He Who Gets Slapped : 監督ヴィクトル・シェストレム、主演ロン・チェイニー、1924年MGM製作、1926年6月11日日本公開

『キートンの栃面棒』(別題『セブン・チヤンス』) Seven Chances : 監督・主演バスター・キートン、1925年MGM製作、1926年[1]7月15日日本公開[10]

『奇蹟の薔薇』 Revelation : 監督ジョージ・D・ベイカー、1924年MGM製作、1926年[1]9月10日日本公開[11]

グリード』 Greed : 監督エリッヒ・フォン・シュトロハイム、主演ザス・ピッツ、1924年MGM製作、1926年11月5日[1]日本公開[12]

アリラン』 : 監督・原作・脚本・主演羅雲奎、1926年朝鮮キネマ製作、1926年12月22日(検閲日)以降公開[3]

『キートン西部成金』(別題『キートンのゴー・ウェスト!』) Go West : 監督・主演バスター・キートン、1925年MGM製作、1927年4月1日日本公開[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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