この項目では、株式会社ヤマコーおよびその前身の山形交通株式会社について説明しています。1997年からバス事業を運営している山交バス株式会社については「山交バス (山形県)」を、同じくヤマコーの通称を持つ山梨県にあるバス会社については「山梨交通」をご覧ください。
株式会社ヤマコー
YAMAKO Co., Ltd.ヤマコー本社
種類株式会社
本社所在地 日本
〒990-9567
山形県山形市鉄砲町二丁目13番18号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度14分15.0秒 東経140度19分55.7秒 / 北緯38.237500度 東経140.332139度 / 38.237500; 140.332139
株式会社ヤマコーは、山形県山形市に本社を置く、同県内陸部を地盤とするユトリアグループの中核企業である。旧称は山形交通。 1943年(昭和18年)10月1日、戦時体制下の陸運統制によって、山形県の地方私鉄会社であった三山電気鉄道・尾花沢鉄道・高畠鉄道とバス会社であった山形交通自動車商会・今村自動車の5社が合併。さらに置賜、村山、最上の個人運輸事業者を吸収し、山形交通として発足した[2]。存続会社は三山電気鉄道。戦後1948年(昭和23年)には、山形市 - 上山町(現:上山市)間にトレーラーバスの運行を開始し、加えて、山形市 - 米沢市 - 長井町(現:長井市)では急行バスの運行も始めた[2]。 高度経済成長期には県内においても観光ルートの整備が進み、それに沿って白布温泉まで定期バスの運行を始めたほか、蔵王エコーラインが開通した際には刈田岳までバスの運行を開始した[3]。1972年(昭和47年)6月には、県都における路線バス運行の拠点として建設していたバスターミナルである山交ビルが山形駅前通り沿いに開業した[3]。しばらくは鉄道とバスを併営する運輸業者であったが、1974年(昭和49年)までに鉄道線は全廃した。また、モータリゼーションの進展によって県内陸地方全域に展開していた路線バス網も、乗客の減少に歯止めがかからず、多くの路線が廃止あるいは自治体バスへの転換が図られた。 1960年代後半から経営の多角化に乗り出し、1975年(昭和50年)4月には不二家との合弁で山交フッドサービス(現:不二家東北)を設立。
概要