株式会社ヤナセ
YANASE AND COMPANY, LIMITED本社(2022年)
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社
本社所在地 日本
〒105-8575
東京都港区芝浦一丁目6-38
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度38分48.8秒 東経139度45分17.4秒 / 北緯35.646889度 東経139.754833度 / 35.646889; 139.754833座標: 北緯35度38分48.8秒 東経139度45分17.4秒 / 北緯35.646889度 東経139.754833度 / 35.646889; 139.754833
設立1920年(大正9年)1月27日
(梁瀬自動車株式会社)
業種卸売業
法人番号1010401029826
事業内容自動車ディーラー
代表者?田多孝(代表取締役兼社長執行役員)
資本金
69億7500万円
(2023年3月31日現在)[1]
発行済株式総数
4726万株
(2023年3月31日現在)[1]
売上高
連結: 4618億0100万円
単独: 3856億8100万円
(2023年3月期)[1]
営業利益
連結: 222億7800万円
単独: 160億0700万円
(2023年3月期)[1]
経常利益
連結: 237億7300万円
単独: 206億0200万円
(2023年3月期)[1]
純利益
連結: 166億9100万円
単独: 151億5800万円
(2023年3月期)[1]
純資産
連結: 731億4200万円
単独: 662億8800万円
(2023年3月31日現在)[1]
総資産
連結: 2185億9800万円
単独: 2056億9400万円
(2023年3月31日現在)[1]
従業員数
連結: 4,614人
単独: 3,565人
(2023年3月31日現在)[1]
決算期3月31日
会計監査人EY新日本有限責任監査法人[1]
主要株主
伊藤忠商事 82.75%
ESS事業団 8.59%
鹿島建設 1.18%
鹿島公子 0.70%
宮園オート 0.27%
鶴田節子 0.26%
伊丹産業 0.26%
梁瀬泰孝 0.18%
岡崎ヤナセプランニング 0.18%
豊橋ヤナセ 0.18%
(2023年3月31日現在)[1]
関係する人物
梁瀬長太郎(創業者)
梁瀬次郎(元社長)
稲山孝英(元社長)
西山俊太郎(元社長)
井出健義(元社長)
外部リンクhttps://www.yanase.co.jp/
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株式会社ヤナセ(英: YANASE AND COMPANY, LIMITED[2])は、伊藤忠商事傘下の輸入車および中古車の販売業者(ディーラー)。取扱車の後部ウィンドウに貼られる、黄地に青字の「YANASE」ステッカーで知られる。2023年現在のキャッチフレーズは「クルマはつくらない。クルマのある人生をつくっている。」。 日本国内に新車販売店174店舗と、中古車販売店31店舗を持つ。直営の販売店に加え、特定の輸入車ブランドを扱う子会社組織や、一部の地方における関連会社[注釈 1]がある[注釈 2]。 かつては、「いいものだけを世界から」というキャッチフレーズを前面に出し、テレビ・ラジオの番組提供などでCMも放映され、欧米自動車ブランドの輸入者(インポーター)でもあったが、2002年(平成14年)までにはそれら全ての輸入権をメーカー系インポーターに譲渡した(後述)。近年中古車販売の比率が上昇しており、現在の販売台数のおおむね45%は中古車である[3]。 主に研磨剤を中心に扱う柳瀬株式会社 梁瀬長太郎が1915年(大正4年)、東京・日比谷に設立した「梁P商會」を前身とする。はじめはトラックやバスのコーチビルダー(車体製造業者)として事業開始したが、三井物産の輸入車部門を長太郎がMBOした。 1919年(大正8年)、現本社のある東京府芝浦に工場を開設[4]。GM(ゼネラルモーターズ)のビュイック、キャデラックの輸入から始まり、イタリアのフィアットや電気自動車のミルバーンなどの輸入やバス[注釈 3]、タクシー会社[注釈 4]経営、車体製造など幅広い分野に手を広げた。 また1923年には、ヨーロッパに出張中[誰が?]に関東大震災の発生を聞き、復興のために自動車需要が増加することを予想し即座に2,000台のシボレーなどの輸入を決め、その後大きく販売数を伸ばした。 その後日本でもシボレーやフォードなどの一般及び業務向け乗用車の現地生産が始まり、また1920年代後半から日産自動車やオオタなどが小型乗用車の生産を始めると、上流階級や富裕層が好むビュイックやキャデラックの販売を強化し、第二次世界大戦後も同様の高級路線を取ることにつながった。 第二次世界大戦中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の梁瀬次郎会長に経営が引き継がれるとともにGMの各ブランドやメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン(傘下のアウディも含む)と取り扱い車種を増やした。 1965年(昭和40年)、日本への自動車輸入が完全自由化された後も、本国に比べて高価な価格設定、上位グレード中心の車種設定、島屋などの高級デパートへの出店、避暑地である軽井沢に夏の期間のみアフターサービス拠点を開くなど、国産車の購入者に比べ裕福な層に対象を絞り「高級車」イメージを強調するブランド戦略により、第二次世界大戦前のままに日本における輸入自動車を「特別な存在」、「富裕層の象徴」に位置付けた[注釈 5]。 1970年(昭和45年)10月1日にそれまでの「株式会社梁瀬」から「株式会社ヤナセ」に社名変更する。
概要
歴史
設立
経営多角化
外国車インポーター時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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