ヤシの葉
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ヤシの葉 ヤシの葉の初版表紙
著者ハリエット・ビーチャー・ストウ
原題Palmetto Leaves
アメリカ合衆国
言語英語
ジャンル回想録旅行ガイド
出版社J・R・オズグッド
出版日1873年
出版形式書籍

『ヤシの葉』(原題:Palmetto Leaves)は、アメリカ合衆国の作家ハリエット・ビーチャー・ストウが、フロリダ州マンダリンで冬を過ごした時のことを執筆し、1873年に出版した回想録であり、結果的に旅行ガイドにもなった。ストウは既に1852年に出版した『アンクル・トムの小屋』で有名になっており、南北戦争(1861年-1865年)後にフロリダ州に来て、ジャクソンビルの近くにプランテーションを購入した。それは息子が北軍兵士として受けた傷を癒し、新たな人生のスタートを切る場所という意味合いがあった。ストウは息子を尋ねた後でその地域に夢中になり、自分のためにコテージとオレンジの林を買い、1884年までそこで冬を過ごすことになった。プランテーションそのものは最初の年に失敗していたが、それには構わなかった。『ヤシの葉』の一部はストウの弟のヘンリー・ウォード・ビーチャーが、北東フロリダにおける生活に関する一連の手紙と随筆として新聞に掲載した。

ストウはニューイングランドの牧師の一家に育ち、その手紙で表明していたキリスト教徒としての責任感を痛切に感じていた。新しく解放された黒人が生活を改善するのを援けるのを自分の任務と考え、その目的達成に向けてマンダリンで学校と教会を建てるためにやることを列挙していた。この本の一部では地元のアフリカ系アメリカ人の生活とその社会の慣習を記述している。ストウは地域の魅力とその概して温和な気候を詳述したが、読者に「過剰な」夏の暑さと冬に時として起こる寒波について警告している。その聴衆は親戚、友人、および見知らぬ人であり、当時はまだほとんど原野のままだったフロリダに移り住むべきか否かについて助言を求めたニューイングランドの人々だった。『ヤシの葉』はストウの「全作品」の中では小品だが、フロリダについて書かれた最初の旅行ガイドであり、1880年代に起きたフロリダでは最初の観光ブームと住宅開発を刺激することになった。
目次

1 背景

1.1 地所の購入

1.2 変容と失敗


2 本文の内容と出版

3 主題とテーマ

3.1 任務と呼び方

3.2 フロリダと、マンダリンでの日々の生活

3.3 解放奴隷


4 作品の受け入れと批評

5 出版後の経過

6 原註

7 脚注

8 参考文献

9 関連図書

10 外部リンク

背景
地所の購入 ハリエット・ビーチャー・ストウ、1872年、『ヤシの葉』に掲載される手紙を書いている時

ハリエット・ビーチャー・ストウ(1811年-1896年)が1867年にフロリダ州に移転した時までに、既に1851年から1852年の間に連作として出版していた『アンクル・トムの小屋』を著すことで国際的に名声を得ていた。この小説はストウの奴隷制度廃止論を支持する見解を詳述し、アメリカ合衆国における奴隷制度を非難することに非常に大きな影響力を発揮した。ストウが奴隷制度に反対したのは、そのキリスト教徒としての信仰に基づいた道徳観から来ていた。ストウは長老派教会牧師のライマン・ビーチャーの娘として成長した。兄弟の中で7人がカルヴァン主義あるいは会衆派教会の牧師となり、ストウ自身も牧師と結婚した[1]

1860年、エイブラハム・リンカーン大統領が南北戦争を予測して志願兵を招集したとき、ストウの息子のフレデリック・"フレッド"・ウィリアム・ストウがマサチューセッツ第1歩兵連隊に入隊した。フレッドは甘やかされて育ち、16歳の時にはアルコールで問題を起こしていた。しかし軍隊に入って中尉に昇進した。1863年のゲティスバーグの戦いで頭に負傷した後、頭痛が激しかったので、軍隊を辞めざるを得なかった[2]。アルコール依存が悪化し、当時は広く入手できたオピエート麻薬を自由に使ってさらに複雑なものになっていた可能性がある[3][4]

1866年、フレッドは戦中に北軍兵としてフロリダで任務について時間を過ごしてきていたコネチカット州の若い農夫2人と出逢った。彼らから、そこの土地は豊富にあって安く、解放されたばかりの黒人が低賃金で働いてくれるということを聞いた。フレッドが母のハリエットと父のカルビン・エリス・ストウにこの情報を伝えると、両親はそれが息子のリハビリを速めてくれる絶好の機会だと考えた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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