ヤギェウォ朝
国 ポーランド王国 (en
ヤギェウォ朝(ポーランド語: Dynastia Jagiellonow)は、ポーランド、リトアニア、ボヘミアおよびハンガリーの王朝。ヤゲウォ朝、ヤギェロ朝、ヤゲロ朝とも呼ばれる。1386年にリトアニア大公国の大公ヨガイラにより、ハンガリー王をも兼ねたポーランド王ルドウィク1世(ハンガリー王としてはラヨシュ1世)を継承した女王ヤドヴィガ(在位:1384年 - 1399年)との結婚により成立した。
王朝の年代は各君主位によって異なるが、それぞれ以下の通りになる。
ポーランド王:1386年 ? 1572年
リトアニア大公:1377年 ? 1392年、1440年 ? 1572年
ハンガリー王:1440年 ? 1444年、1490年 ? 1526年
ボヘミア王:1471年 ? 1526年
ヤギェウォ朝の勢力図
歴史[ソースを編集]
ポーランドの歴史
ピャスト朝
10世紀 - 1370年
プシェミスル朝 1300年 - 1306年
ポーランド・アンジュー朝 1370年 - 1399年
ヤギェウォ朝 1399年 - 1572年
ポーランド・リトアニア共和国(第1共和制) 1569年 - 1795年
ポーランド分割 1772年、1793年、1795年
ワルシャワ大公国 1807年 - 1813年
ポーランド立憲王国
1815年 - 1867年クラクフ共和国
1815年 - 1846年ポズナン大公国
1815年 - 1848年
第一次世界大戦 1914年 - 1918年
ポーランド摂政王国 1916年 - 1918年
ポーランド共和国(第2共和制) 1918年 - 1939年
第二次世界大戦 1939年 - 1945年ポーランド亡命政府
ポーランド総督府 1939年 - 1945年
ポーランド人民共和国 1952年 - 1989年
ポーランド共和国(第3共和制) 1989年 - 現在
ピャスト朝が1370年にカジミェシュ3世の死により途絶えると、アンジュー朝のハンガリー王ラヨシュ1世が選ばれポーランド王ルドヴィクとして即位した。1382年のルドヴィクの死後、ポーランド王位を継承した11歳の末娘ヤドヴィガは、1386年にリトアニア大公ヤギェウォ(ヨガイラ)と結婚した。ヤギェウォはキリスト教に改宗してヴワディスワフ(2世)を名乗り、ヤギェウォ朝を築いた。1387年、リトアニア全土がキリスト教に改宗した。1399年、ヤドヴィガの死によりヴワディスワフ2世による単独の統治が始まり、以後35年以上継続した。その間に、ポーランド・リトアニア合同の土台が築かれた。ヴワディスワフ2世は己の名前を帯びたヤギェウォ朝の創始者である一方、異教徒としてのヨガイラはリトアニア大公国を建てたゲディミナス朝の後継者であった。王朝は両国を1572年まで支配し、中世後期および近世の中・東欧で最も影響力のある王朝の一つとなった。
ヤギェウォ朝からは後に、ベラルーシの君主やボヘミア、ハンガリーの王位に即く者も現れたが、1572年に断絶した。
ヤギェウォ朝のポーランド王[ソースを編集]
ヴワディスワフ3世、ヤン1世、アンナ以外はリトアニア大公を兼ねた(在位期間は重なるが、必ずしも一致しない)。
ヴワディスワフ2世(W?adys?aw II Jagie??o, 1386年 - 1434年)
ヴワディスワフ3世(W?adys?aw III Warne?czyk, 1434年 - 1444年)