基礎自治体章
位置
ボスニア・ヘルツェゴビナでのヤイツェの位置
座標 : 北緯44度20分24.9秒 東経17度15分26.0秒 / 北緯44.340250度 東経17.257222度 / 44.340250; 17.257222
ヤイツェ(ボスニア語:Jajce、クロアチア語:Jajce、セルビア語:?а?це)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、同国の中部に位置している。ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する2つの構成体のうち、ボシュニャク人やクロアチア人を主体としたボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属しており、中央ボスニア県に含まれる。バニャ・ルカ、ムルコニチ・グラード(Mrkonji? Grad)、ドニ・ヴァクフ(Donji Vakuf)を結ぶ道の交点にあたり、プリヴァ川(Pliva)とヴルバス川(Vrbas)の合流地点にある。 ヤイツェは14世紀に初めて築かれた町であり、その時代に独立していた中世ボスニア王国の首都であった。街は要塞化され門を有し、また街のそれぞれの門を結ぶ城壁と城が街を守っていた。1463年にボスニア王国がオスマン帝国の配下となると、ヤイツェはオスマン軍に占領されるが翌年にはハンガリー王国のマーチャーシュ1世に奪取される。ヤイツェから十数キロメートルのところには、ヤイツェよりも小さいコモティン(Komotin)の城と街があり、かつてのヤイツェの街はコモティンにあったが、黒死病の流行後に現在の場所に移転したと信じられている。 ハンガリー支配下では、ボスニア王妃カタリナ・コサチャ=コトロマニッチ
目次
1 歴史
2 住民
2.1 1991年
3 1995年の領域変更
4 終戦後
5 周辺
6 参考文献
7 外部リンク
歴史