モーリス・メルロー=ポンティ
[Wikipedia|▼Menu]

モーリス・メルロー=ポンティ
Maurice Merleau-Ponty

生誕 (1908-03-14) 1908年3月14日
フランス共和国シャラント=マリティーム県ロシュフォール
死没 (1961-05-03) 1961年5月3日(53歳没)
フランスパリ
時代20世紀の哲学
地域西洋哲学
学派大陸哲学現象学実存主義西欧マルクス主義構造主義ポスト構造主義
研究分野心理学、身体化された認知、形而上学知覚ゲシュタルト心理学認識論美学西欧マルクス主義
主な概念知覚の現象学、匿名の集合、運動的志向性、世界の肉、「知覚する心は身体化された心である」、キアスム、浸透
影響を受けた人物

アンリ・ベルクソンオイゲン・フィンクマルティン・ハイデッガーエトムント・フッサールセーレン・キェルケゴールクルト・コフカヴォルフガング・ケーラークロード・レヴィ=ストロースカール・マルクスフリードリヒ・ニーチェジャン=ポール・サルトルフェルディナン・ド・ソシュールなど

影響を与えた人物

デイヴィッド・エイブラム、Renaud Barbaras、ジュディス・バトラーコルネリュウス・カストリアディス、Paul Crowther、アーサー・ダントージル・ドゥルーズヒューバート・ドレイファス、James M. Edie、Nader El-Bizri、ミシェル・フーコー、Amedeo Giorgi、グレアム・ハーマン、Don Ihde、リュス・イリガライ、Galen Johnson、Nikolas Kompridis、ジャック・ラカンジャン・ラプランシュクロード・ルフォール、ロン・マクラムロック、クロード・レヴィ=ストロースジャン=ポール・サルトルジルベール・シモンドン、エヴァン・トンプソン、フランシスコ・バレーラ、Dalibor Vesely、ポール・ヴィリリオなど

テンプレートを表示

モーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908年3月14日 - 1961年5月3日)は、フランス哲学者。主に現象学の発展に尽くした。著書の日本語訳等においては、「モーリス・メルロ=ポンティ」、「モーリス・メルロ・ポンティ」など、Merleauに長音記号を付けない表記が多く用いられている。

ロシュフォール生まれ。パリの自宅で執筆中、心臓麻痺のため死去。
生涯

1908年フランスロシュフォールに生まれる。18歳のとき高等師範学校に入学し、サルトルボーヴォワールレヴィ=ストロースらと知り合う。21歳のときフッサールの講演を聴講し、現象学に傾注する。以後現象学の立場から身体論を構想する。37歳のとき主著『知覚の現象学』を出版するとともに、サルトルと「レ・タン・モデルヌ(現代)」誌を発刊する。戦後はパリ大学文学部教授となり(1949年)、児童心理学教育学を研究する一方、冷戦激戦化の状況の中、マルクス主義に幻滅し、サルトルとは決別した[1]

メルロ=ポンティは、知覚の主体である身体を主体と客体の両面をもつものとしてとらえ、世界を人間の身体から柔軟に考察することを唱えた。身体から離れて対象を思考するのではなく、身体から生み出された知覚を手がかりに身体そのものと世界を考察した。1959年、『見えるものと見えないもの』を刊行。パリの自宅で執筆中、心臓麻痺のため急逝(1961年)。
思想.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年4月)

哲学体系は「両義性(Ambiguite[2])の哲学」「身体性の哲学」「知覚の優位性の哲学」と呼ばれ、従来対立するものと看做されてきた概念の<自己の概念>と<対象の概念>を、知覚における認識の生成にまで掘り下げた指摘をしている。

たとえば、それまで枯れ木を見たことがない人にとっては、枯れ木を見るだけでは、名前のない枯れ木を「現象」としてしか知ることができない。「枯れ木」を恒常的に認識できるようになるためには、「枯れ木」という言葉(記号)を知る必要がある。

また、精神身体というデカルト以来の対立も、知覚の次元に掘り下げて指摘し、私の身体が<対象になるか><自己自身になるか>は、「どちらかであるとはいえない。つまり、両義的である」とした。一つの対象認識に<精神の中のものであるか><対象の中のものであるか>という二極対立を超え、私の身体のリアリティは<どちらともいえない>。しかし、それは無自覚な<曖昧性>のうちにあるのではなく、明確に表現された時に<両義性>を持つとした。そして、その状態が<私という世界認識><根源的な世界認識>であるとした。

そこには、既に言葉と対象を一致させた次元から始めるのではなく、そもそもの言葉の生成からの考察がある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef