この項目では、TBS系で放送されたワイドショー番組について説明しています。フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナルがアメリカ合衆国向けに放送する情報番組については「FCIモーニングEYE
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モーニングEye
ジャンルワイドショー番組
出演者森本毅郎
絵門ゆう子
山本文郎
長峰由紀
渡辺真理 ほか
製作
制作TBS
放送
放送国・地域 日本
森本ワイド モーニングEye
放送期間1984年11月5日 - 1987年10月2日
放送時間平日 8:30 - 9:55
放送枠TBSテレビ系列平日午前のワイドショー枠
放送分85分
モーニングEye
(1987年10月5日から1992年10月2日まで)
放送期間1987年10月5日 - 1992年10月2日
放送時間同上
(1992年10月5日から放送終了まで)
放送期間1992年10月5日 - 1996年9月27日
放送時間平日 8:30 - 10:20
放送分110分
特記事項:
※一部地域は9:55まで。
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『モーニングEye』(モーニング・アイ)は、1984年11月5日から1996年9月27日までの約12年間にわたってTBS系列で生放送されていた日本のワイドショーである[1]。これが昭和最後の平日午前のワイドショー番組となった。 『森本毅郎さわやかワイド』の後継番組としてスタート。当初は総合司会の森本毅郎の冠番組として『森本ワイド』(もりもとワイド)のサブタイトルが付されたが[2]、1987年、その森本が『ニュース22プライムタイム』のメインキャスターとして異動し、池田裕子(絵門ゆう子)とともに番組を降板。総合司会を山本文郎と、当時の新人だった長峰由紀(当時TBSアナウンサー)に交代、同時に総合司会者の冠が外れた。1991年4月1日に山本のパートナーが長峰から渡辺真理(当時TBSアナウンサー)に交代。山本は就任当時TBSアナウンサー(社会情報局専門局局長兼任)だったが、1994年9月末の退社・フリー転身後も専属契約のキャスターとして総合司会を続けた。 『モーニングジャンボ奥さま8時半です』『森本毅郎さわやかワイド』と同様に、9:15頃まではライオンの一社提供で、佐藤遥子・伊津野亮などの生CMが放送されていた。のちの『はなまるマーケット』『いっぷく!』『ビビット』『グッとラック!』『ラヴィット!』にも引き継がれている。 1990年代の制作協力会社は東京ビデオセンター・ファーストハンド・東放制作(現在のTBSスパークル)。この3社は1987年10月4日の番組開始から『(関口宏の)サンデーモーニング』も制作協力をしている。 「ゲストコメンテーター」は極力使っていなかった。例外は月曜の和田勉と、金曜日の天野祐吉・木元教子・山本コウタロー・田中康夫・前田武彦・残間里江子・平野陽子
概要
芸能人は「さん」といった敬称を使用していた(当時の『ビッグモーニング』『関口宏のサンデーモーニング』『情熱ワイド!ブロードキャスター』・後継番組の『はなまるマーケット』も同じ)。
事件・芸能・皇室だけではなく、きんさんぎんさん・政治・経済・特撮映画(『ゴジラ』『モスラ』など)などの話題も多く取り上げていた。当時のテレビ朝日制作『モーニングショー』『スーパーモーニング』と同じく、時事問題を多く取り上げていた。
芸能ニュースは小川みどり・みといせい子が中心となってリポートしていた。リポート後、宇都木員夫(芸能デスク)が解説を加えていた。
リポーターの村上允俊が『トリカブト保険金殺人事件』を連日伝えていた。この事件は当時の『ビッグモーニング』(下村健一アナウンサー)でも頻繁に伝えていた。
事件・不祥事・殺人事件・統一教会・幸福の科学・オウム真理教事件などは、高村智庸、剛たつひと、山形美房、津島令子などが詳しく伝えていた。
1993年頃、総合司会の山本文郎が番組内で「お前の番組は皇室の話題が多い」という視聴者からの意見を紹介していた。実際に皇室の番組がTBSで多かったのは午後の『3時にあいましょう』『スーパーワイド』だった。
1990年代前半は同時間帯の視聴率1位を独走していた[3]。
番組末期の1996年4月からの半年間は、宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之の楽曲「鳥の瞳で」(シングル『GOD BLESS TOKYO』カップリング/アルバム『起承転々』所収)がテーマ曲として流れていた。
「TBSビデオ問題」の責任を取る形でTBSはワイドショーの廃止を決定した[注釈 1]ため、1996年9月27日に終了。『モーニングジャンボ』から通算25年半続いた朝のワイドショー番組は一旦幕を下ろす事になった。『モーニングEye』はTBSビデオ問題に関しては全くの無関係である。「TBSビデオ問題」が発覚した後は、当番組でも大きく取り上げていた。後継番組は、岡江久美子・薬丸裕英が総合司会を務める生活情報番組『はなまるマーケット』。なお、山本は本番組終了と共にTBSとの専属契約が切れてフリーとなり、先立って終了していた『スーパーワイド』の後継番組で同じく生活情報番組『素敵なあなた』に異動した。
『はなまるマーケット』(2014年3月28日まで)は「生活情報番組」、その後継番組『いっぷく!』(3月31日 - 2015年3月27日)は「情報番組」という位置付けだったが、『いっぷく!』に代わって2015年3月30日から本枠で開始した『白熱ライブ ビビット』(2017年4月3日から『ビビット』に改題、2019年9月27日に終了)は「ワイドショー・情報バラエティ番組」との位置付けとなり、本番組終了以来19年ぶりに本枠でのワイドショーが事実上復活となった。『ビビット』の後継番組『グッとラック!』もワイドショー路線を継続したが、『ビビット』時代から続く視聴率低迷により2021年3月で終了。2021年春開始の新番組からは再びワイドショー路線から撤退し、『はなまるマーケット』をモデルとした新生活情報番組『ラヴィット!』に切り替わる。なお『はなまるマーケット』までは制作協力会社が同じく敬称を付けていたが『いっぷく!』以降は他のTBSの報道・情報番組と同じく有名人は基本的に呼び捨てとなっている。
2014年2月27日放送の『朝ズバッ!』で山本の死去が伝えられた際、当番組初総合司会時の映像が流れた。 「モーニングEye」歴代総合司会・アシスタント期間放送時間(JST)番組タイトル総合司会アシスタント 特集コーナー:『WEEKポイント』・『WEEKポイント・延長戦』など。
出演者
放送時間・総合司会・アシスタント
1984年11月5日1985年3月29日平日 8:30 - 9:55(85分)森本ワイド モーニングEye森本毅郎[4]12菅原牧子2
1985年4月1日1986年3月28日石井和子
1986年3月31日1987年9月25日池田裕子[4]2
1987年9月28日1987年10月2日なし
1987年10月5日1991年3月29日モーニングEye山本文郎2長峰由紀2
1991年4月1日1992年10月2日渡辺真理2
1992年10月5日1996年9月27日平日 8:30 - 10:20(110分)3
1 『森本毅郎さわやかワイド』から続投。
2出演時TBSアナウンサー(森本、池田は局契約)
3 一部地域は9:55で飛び降り
前田武彦(初期のみ、『朝のホットライン』お天気マンも当時担当)
天野祐吉
木元教子
山本コウタロー(1991年頃から)
平野陽子
田中康夫(後期のみ)
残間里江子(後期のみ)
ほか
リポーター・芸能デスク・ナレーター
高村智庸(番組終了後、1997年4月から2015年3月までテレビ朝日『スーパーモーニング』『モーニングバード』リポーター、元俳優)
剛たつひと(本業は俳優)
村上允俊(トリカブト保険金殺人事件からきんさんぎんさんの話題まで幅広く取材)
菊田紋子(2020年9月までテレビ朝日『スーパーJチャンネル』木曜18時で不定期のグルメ・旅行関連リポーター。その他、グルメリポーターとして数々の番組に出演。民放のBSデジタル放送で放送されている資生堂のCMに出演していた)
山形美房(2014年3月までテレビ朝日『ワイド!スクランブル』リポーター、テレビ朝日『週刊ニュースリーダー』ナレーター)
小川みどり(1986年7月から9月までTBSのドラマ『男女7人夏物語』に出演)
みといせい子(1996年10月以降、テレビ朝日『スーパーモーニング」『モーニングバード』『羽鳥慎一モーニングショー』芸能リポーター、朝日放送『おはようコールABC』コメンテーター)
島田薫(2014年3月までテレビ朝日『ワイド!スクランブル』リポーター)
津島令子(本業は女優)