モーセ
モーセ像(ミケランジェロ作)
生誕紀元前16世紀または紀元前13世紀
民族ヘブライ人
配偶者セフォラ
親父:アムラム、母:ヨシャベル、養母:ベシア
家族兄:アロン、姉:ミリアム
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モーセあるいはモーゼ、ラテン語、英語読みのモーゼスとも(ヘブライ語: ?????? モーシェ、ギリシア語: Μωυσ??、ラテン語: Moyses、Moses、アラビア語: ?????)は、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる、紀元前16世紀または紀元前13世紀ころに活躍したと推測されている、古代イスラエルの民族指導者であり、????(ヤハウェ)を神とする。正教会ではモイセイと呼ばれ聖人とされる。
モーセはユダヤ教・キリスト教・イスラム教およびバハーイー教など多くの宗教において、最重要な預言者の一人とされる。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。
『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトにいるヘブライ人家族の子として生まれたが、ファラオがヘブライ人の新生児を殺害することを命じたので、それから逃れるためにナイル川に流され、ファラオの娘に拾われて大切に育てられたという。長じてエジプト人を殺害し、砂漠に隠れていたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けた、とされ、エジプトから民を率いて脱出したモーセは民とともに40年にわたって荒野をさまよい「約束の地」にたどり着いたが、(モーセは神の指示を忠実に守らなかった過去があり、約束の土地を目前にして、ヘブライの民はそこに入ることができてもモーセはそこに入ることが神から許されず)約束の地の手前で世を去ったという[1][2]。
旧約聖書における記述ドゥラ・エウロポスのシナゴーグから出土した3世紀頃の壁画。モーセがナイル川から拾われる場面を描いている。
『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人(ここではヘブライ人と同じ意味)のレビ族の父アムラムと、アムラムにとって叔母にあたる母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた[注釈 1]。モーセが生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した[3]。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」の意味)にちなんで「モーセ」と名づけた[注釈 2]。モーセの姉の機転で、実の母親が乳母として王女に雇われることになった[4]。
成長したモーセは、あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、ヘブライ人を助けようとしたが、はからずもエジプト人を殺害してしまう。これが発覚し、ファラオに命を狙われたモーセは逃れてミディアンの地(アラビア半島)に住んだ。ミディアンではツィポラという羊飼いの女性と結婚[注釈 3]し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日「燃える柴」のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在のパレスチナ周辺)へと導く使命を受ける。神は、みずからを「わたしはある者」と名乗り[5]、イスラエルの民は代々????(ヤハウェ)という名前で呼ぶようにと言った。
モーセはイスラエル人から『????(ヤハウェ)はあなたに現れなかった』と言われた場合(つまり、預言者であることに疑義をとなえられた場合)に備え、3つのしるしを与えられた、とされる。「杖が蛇になる」「手が癩病(レプラ)で雪のように白くなる[注釈 4]」「ナイル川の水が血に変わる」である[6][7]。『十戒の石板を破壊するモーセ』(レンブラントの絵画)。